銀の指輪 (4)

October 1789

娼館で貰った硬貨を持ってオスカルは宝石商へ訪れた。店内には高価な金やダイアモンドのアクセサリーから、もっと庶民的なガラス細工や真鍮などのアクセサリーも有った。オスカルが店に入って行くと店主らしい眼鏡の男が愛想よく話しかけて来た。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「はい。これで買える結婚指輪はありますか?」
オスカルがテーブルの上で小さな袋を逆さまにすると、いろいろな硬貨が音を立ててテーブルの上に転がった。それを店主が一つ一つ数えた。
「それでしたら、こちらの銀の指輪はいかがですか?お客様のしている物と良く合います。」
店主の差し出す銀の指輪を手に取って眺めてみた。丁度アンドレがオスカルにくれたものと同じ位の厚みで、内側には何か彫ってあった。
「『Amor Vincit Amnia』、ラテン語で 『愛は全てを征服する。』という意味だな。」
「その通りです。良くご存知ですね。」
「気に入った。これを頂こう!」
「もし、大きさが合わなければ、旦那様とご一緒に来ていただければ直しましょう。」
店主から銀の指輪を入れた小さな箱を受け取ると、オスカルは嬉しそうに家路を急いだ。

************

オスカルが La Petite Chaumière に戻ってくるのを見てアンドレが溜め息を吐いた。此処数週間に渡って昼頃になると何処へとも無く出かけて行くオスカルの事を気にかけていたのだ。何を考えているか解らないオスカルが帰って来るといつも安い香水と煙草の匂いが彼女の服に染み込んでいた。しかし彼女は体調が良く、余りにも上機嫌な為に何も追求せずオスカルが自分の意志で秘密を語るのを待っていたのだ。今日も例外でなく、帰宅したオスカルは満足そうに微笑んでアンドレの胸に飛び込んで来た。

「アンドレ、シャンパンを飲まないか?」
「いいぞ。何が良いんだ? 確か、モエとテタンジェが有る。」
「私が取りに行こう。おまえは此処で待っていろ。たまには私にも妻らしい事をさせてくれ。」
オスカルが何かを言い張る時は到底、企みを持っている。そう言う時には黙って言われる通りにした方が一番だ。

アンドレは厨房に行くと手早くチョコレートを暖めて苺を浸し、苺のチョコレート掛けを作った。苺の入った皿を持って居間に行くと、ソファに座ったオスカルが微笑んでいる。テーブルの上にはシャンパングラスが二つ置いてあった。
「苺のチョコレート掛けか!おいしそうだな。」
「ああ、シャンパンに良く合うだろう?」
オスカルの隣に座ったアンドレはグラスの一つを持ち上げて言った。
「乾杯!」
ぶつけ合ったクリスタルグラスからチンと金属的な音が立った。
「おまえ飲まないのか?」
「勿論、飲むさ。」
オスカルはゆっくりとグラスを傾けてシャンパンを飲みながら、何も言わずただアンドレを見つめている。甘酸っぱいシャンパンの芳香が二人の口一杯に広がって来る。
「うん、美味いな。」
アンドレがグラスを傾けて最後の一口を飲もうとした時、何かシャンパンとは別の物がアンドレの舌に触った。
「何だ?」
口の中から異物を取りだすとそれは銀色に輝く指輪だった。
「おまえの結婚指輪だ。遅くなって済まない。」
言葉の詰まったアンドレがようやく口を開いた。
「有り難う、オスカル。おまえが一生懸命働いて買ってくれた指輪なのだろう?俺は世界一幸せな男だ。」
アンドレの目は涙に潤んでいた。指輪を左手の薬指にはめてみるとそれは丁度良かった。
「アンドレ、こんな事位で泣く奴があるか!それに仕事と言っても大した事じゃない。」
オスカルが娼館での仕事の事を話すと、アンドレが笑いながら答えた。
「それはおまえには最適な仕事だったな。でも、そこまでして指輪など必要なかったんだぞ。俺はおまえがいてくれるだけで嬉しいんだ。」
「指輪は私の為でもあるのだ。その指で輝く指輪がおまえを熱い目で見つめる全ての女に『おまえは私の物だ』と宣言する様に。」
「オスカル?」
「知らなかったのか?私は欲張りだ。おまえの全てが欲しい。おまえの熱い視線も、愛の言葉も、優しい吐息でさえ、全て私の物だ。」

アンドレが苺を摘んでオスカルの口元に持って行った。それをゆっくり噛み締めるオスカルが言った。
「…甘い…」
オスカルの唇に光る苺の汁を舐め上げてアンドレが囁いた。
「おまえの方が甘いよ…」
「今度はおまえの番だ…」
オスカルが苺を摘んでアンドレの口元に運んだ。アンドレが苺をオスカルの指ごと口に入れるとオスカルの指をゆっくりと舐める。二人の吐息が心持ち早くなった。

アンドレが呟いた。

「Amor Vincit Amnia…」

銀の指輪 (3)

October 1789

オスカルはクローゼットの中の自分の所持品を見回して溜め息を吐いた。ごく普通の装身具の他にめぼしい物は無い。ジャルジェ家を一銭も持たずに出て来たオスカルは金目の物は何一つ持っていなかった。こうなったら街で仕事を探すしかない。

その日は天気も良く、アンドレには気晴らしに馬に乗ると言って街に向かった。アンドレはオスカルを一人で行かせたくなかった様だが、この頃体調も大分良い為、止めはしなかった。

しかし街には着いた物の、軍人としてしか働いた事のないオスカルに仕事が出来るような店は一つもなかった。あても無く歩き回った末、オスカルはある建物の前で立ち止まった。それは南部の海岸沿いの建物には珍しく、窓には厚いカーテンがかかっていて中の様子がまるで見えない。入り口には看板の一つも無い代りに求人募集の張り紙があった。
「当たって砕けろ!」
オスカルは覚悟を決めると扉を開けて中へ入っていった。

「外で求人募集の張り紙を見たのですが…」
オスカルが室内を見回すとそこは何とも違和感の隠せない場所だった。昼でも薄暗い室内では派手に着飾った女達が煙草の煙と強い香水の匂いの中でひしめき合っている。その時、いくら世間知らずのオスカルでも自分が娼館に紛れ込んでしまった事にようやく気がついた。

オスカルが逆戻りして外に出ようとした時、奥の方から声が聞こえて中年の女が寄って来た。年はオスカルの母位であろうか。なかなか整った顔立ちのマダムらしい女は 娼婦とは対照的な落ち着いた装いで黒髪を緩く結い上げていた。賢そうな灰色の瞳はオスカルを値踏みする様にまじまじと見つめた。
「どれどれ。今探しているのはお客さんに酒を運ぶ給仕人だけど、あんた経験はあるのかい?」
「いいや。しかし酒には詳しいし、何でも覚えは早い方だが。」
「あんた程の上玉なら客を取った方が稼ぎになるんだけどね。」
「それは残念ながらお断りだ。男は生涯一人と誓ったのでな。」
「でも経験が無いのなら給仕として雇う訳にはいかないよ。」
「それではこうしよう。今日の所は私をただで働かせてくれ。もし私の働きが気に入ったら雇ってくれれば良い。」
「なかなか面白いことを言うね。よし解った。やってみな。ただし女物の服に着替えてもらうよ。それとあんた、女言葉で喋れるかい?」
マダムに導かれてオスカルは着替室に向かった。

************

オスカルが着せられたのは黒いお仕着せだった。金髪を後ろで束ねたオスカルはトレイを片手に客の注文を取ったり酒を運んだりした。幸い未だ時間は早く客は少なく仕事を習うのには丁度良い。

その時、酔っぱらった客の一人が未だ年若い娼婦に絡んでいる声が聞こえて来た。
「何だ、おまえ俺の酒が飲めねえっていうのか?」
「旦那、勘弁して。あたしお酒はだめなの!」
「良いじゃないか、一杯位!」
男が無理矢理グラスを女の口元に運んだ。見るに見かねたオスカルが男の腕を掴んだ。
「おい、嫌がっているじゃないか。いい加減にしろ。」
「何だ、おまえは?…ふん、なかなか良い女じゃないか。よし、おまえが代りに相手をしろ。俺が可愛がってやる!」
男がオスカルの方に手を伸ばした。
「無礼者!」
オスカルが男の腕を捻り上げた。男の手からグラスがすっ飛んで床の上で砕けた。
「いてて…畜生このアマ!」
掴み掛かろうとした男をオスカルはいとも簡単に躱して投げ飛ばした。男は何が起きたかも解らぬまま床の上に仰向けにひっくり返って目を白黒している。
「紳士として振る舞えないのなら、とっとと出て行け!」
男の上着の首筋を掴んだオスカルはそのまま男を娼館の外に引きずり出した。

オスカルが戻って来ると娼婦の間から歓声が揚がった。
「あんた、すごいじゃない!あの男あんたの2倍は有ったよ!」
「あの酒癖の悪い奴を懲らしめてくれてありがとう!胸がすっとしたよ!」
「たいした事じゃない。タイミングとコツさえ覚えればあんな酔っぱらいの一人や二人、子供だって倒せる。」

マダムが難しい顔をしてオスカルの方にやって来た。
「やっぱりあんたに給仕の仕事は断るよ。その代わり他の仕事はどうだい?」
「グラスの事は済まなかった。でも私は客は取らんと言ったはずだ!」
「何を早とちりしているんだよ。あんたが今やったような護身術を家の娘達に教えてあげて欲しいのさ。今までも酔っぱらいに絡まれて怪我させられたり、嫌な事をされたりする事があってね。」
「そう言う仕事ならお手の物だ。引き受けよう。」
 
**************

それからオスカルは何度か昼間の客の少ない時間帯にそこへ訪れて娼婦に護身術を教えた。彼女が訪れる度に女達が嬉しそうに自慢話を聞かせてくれた。

「あんたに教わった通りに、酔っぱらいの親指を掴んで逆に捻ったら簡単に手を振り解けたよ!ありがとう!」

「あたいは後ろから抱きすくめられたけど、靴の踵で思い切り足を踏んずけて, みぞおちに肘鉄砲を食らわせてやった! その男小半時も立てなかったんだよ。」

「君達は良い生徒だった。これで一応一通り教えてある。後は個人的に練習していざという時に体が自然と動く様にしておく事だ。」
オスカルが満足そうに言った。
「ありがとうよ。これはあんたの報酬だ。」
マダムが硬貨をいくつかオスカルに渡した。そして娼婦の一人が硬貨の入った小さな袋をオスカルに渡した。
「これはあたい達から。お礼の気持ちとして受け取っておくれよ。」

オスカルは礼を言って娼館を後にした。

銀の指輪 (2)

October 1789

アンドレが期待していた甘いランチデートは今日の所は叶わなかった。オスカルはその店の名物のラム肉のシチューには殆ど手をつけず、カベルネばかり早いペースで飲んだ。そして帰りの馬車の中でもアンドレにあたりちらしていた。

「だいたい私が男に見えるというのか?」
「オスカル、 此処はベルサイユじゃないんだぞ。お前の事を知る人はいないんだ。男装で、しかも男名で呼ばれていたおまえを男と間違えるのは仕方ないじゃないか。」
「しかもおまえが男色家だと思われた。」
「いいよ。俺は別に気にしていない。俺が愛しているのはおまえの姿形だけではない。おまえの全てだ。たとえおまえが男として生まれていてもおまえをきっと愛したよ。」
「…おまえは男色趣味もあったのか?」
アンドレが両腕を投げ出した。
「俺はもう降参だ。俺が何を言っても今のおまえを怒らせるだけのようだな。」
二人は屋敷までの道のりを無言で馬車に揺られて行った。

********************

屋敷に戻ったオスカルは書斎に駆け込んで大きな音を立てて扉を閉めた。別にアンドレに腹を立てていた訳ではないのに。何故素直になれないのだろう。アンドレ程の良い男を娘達が熱い視線で見つめるのは無理ないし、男色家と間違えられたのも、成り行き上仕方ない事だ。

本当に怒っていたのは自分自身なのだ。アンドレへの思いに気がついてしまった今は彼の全てを自分の物にしたかった。他の女性がアンドレの事を見つめる事さえ我慢出来ない。そしてオスカルは気がついた。こんなに愛しているアンドレにいつも甘えているばかり。自分の事が精一杯で長い間彼に何かしてあげるという事を考えてもみなかった。昼間の娘の言葉が頭に浮かぶ。

「今までアンドレに結婚指輪を贈っていなかった事に気がつかなかったなんて…私は酷い妻だな。」

オスカルが呟いた。こうなったらどうしてもアンドレに指輪を贈りたい。勿論結婚式の日にジャルジェ将軍が贈ってくれた資金も有るしアンドレに頼めばいくらでも金を用意してくれるだろうがそれでは意味はない。オスカルはどうにかして自分の手で指輪を買いたかった。

そのような事を考えていると扉が静かに開いてショコラをトレイに載せたアンドレが立っていた。
「気が済んだか?」
いつもの様に優しいアンドレの微笑みが凍り付いた心を溶かす太陽の光の様に暖かい。
「ああ。」
ゆっくりとショコラをすすりながらオスカルが言った。

「私だって男に生まれていてもおまえを愛していたと思う。」

オスカルの精一杯の謝りの言葉にアンドレは無言でオスカルを抱き締めた。
 

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銀の指輪 (1)


「オスカル、ちょっと、先に座っていてくれるかい? 馬の蹄鉄が緩んでいる様だ。」
買い物を終えた二人はVallée de Sérénité で昼食をする事にした。
「私も手を貸すぞ。」
「大丈夫さ。先にワインを頼んでおいてくれ。すぐに行くから。」
オスカルは頷くと窓際のビストロチェアに座ってメニューを読み始めた。開け放たれた窓で白いレースのカフェカーテンが静かに揺れている。眠たげな午後の日差しの中で殆ど客のいないレストランはまるで時が止まってしまった様に静かだった。 その静寂を破ってレストランの扉が開き、二人の女性が笑いながら入って来た。 背を向けて座っているオスカルは女性の顔は見えなかったが、その若々しい声で二人が 未だ年若い娘だという事が解った。オスカルがワインのリストを読んでいると二人の会話が耳に入って来た。
「ね、どう思う、今の方?見かけない人だけど。」
「素敵!私黒髪って好きなの。背も高いし、優しそうな笑い顔だったわ!!」
オスカルは二人がアンドレの事を話している事に気がついた。もうワインどころではない。オスカルの全神経は二人の会話に集中していた。
「でも、あんなハンサムですもの、もう奥様がいるんじゃないかしら?」
オスカルは無意識に何度も頷いていた。
「大丈夫。あの方結婚指輪はしていなかったもの!」
ガタンと音をたててオスカルがいきなり立ち上がった。 驚いた娘達が振り返ったが余り険しい顔をしたオスカルを見るなり前に向き直って黙ってしまった。オスカルも我に帰って椅子に座り直したが, もう誰も話す者はいない。レストランは又静寂に包まれた。

するとアンドレが扉を開けて入って来た。二人の娘がアンドレを見つめる熱い視線がオスカルには手に取る様に解る。
「オスカル、ワインは決めたのかい?」
隣に座ったアンドレにオスカルはいきなり抱きついた。
「ど…どうした、オスカル? 」
訳の解らぬアンドレがオスカルの頭を抱き締めて優しく黄金の髪を撫でた。
「何でもない…ちょっとこのままでいてくれ。」
二人をちらりと見た娘が小声で言ったのがオスカルの耳に入って来た。


「残念だわ!男色趣味だったなんて!!!」

オリーブの小枝

--In the evening, the dove came back to him and there in its beak was a freshly-picked olive leaf. (Genesis 8:11)--

--夕方、鳩は 取りたてのオリーブの小枝を嘴に、舞い戻って来た。(創世記 8:11)--



「オスカル、今年の奥様への御誕生日のプレゼントはどうする?」
バルコニーで遅い朝食を取るオスカルにコーヒーを淹れながらアンドレが聞いた。
衞兵隊の仕事もこの頃は順調で休日のオスカルも機嫌が良かった。
「もうそんな季節か…」
「ちなみに旦那様はサファイアのネックレスをお送りだ。」
「おお、それならばネックレスに合わせてサファイアのイヤリングはどうだ?」
「それはマリー・アンヌ様がなさります。」
「それでは指輪にしよう。」
「それはジョセフィーヌ様が。」
「腕輪?」
「オルタンス様。」
「ええと…」
「オスカル、サファイア意外にした方が無難だぞ。」
「それだったらおまえはどうする?」
「奥様は以前香水を調合してもらっていたお店が主人の急病で閉まって以来、気に入った香水が買えないとこぼしておいでだった。」
「それは良い事を聞いた。早速パリに出かけて母上の香水を探そう。」
「心配するな。もう俺が見つけておいた。今から取りにいってくる。」
「そうか。よかった… 待てよ、始めから決めてあるのなら何故私に遠回しに聞いたのだ!」
アンドレがいたずらそうに目眴せした。
「だっておまえからのプレゼントだろう?おまえのアイデイアでなくてはな。」
アンドレはおどけて深々とお辞儀をしてみせた。
「それではお嬢様がお許しを下さるのなら早速パリへ行って参ります。」
「好きにしろ。どうせ馬車を待たせてあるのだろう?」
「流石は私のご主人様!心配するな、遅くならない内に帰るぞ。」
オスカルは少し機嫌を損ねていた。いくらアンドレとはいえ、此処まで自分を読まれてしまうと面白くない。 
「心配などするか!」
笑いを堪えながら去って行くアンドレの大きな背中に向かってオスカルが怒鳴った。

************

その香水店はパリの衛兵隊のパトロールルートに有った。間口は余り広くないが、客が絶えない所を見ると、なかなか評判が良いらしい。4日前、仕事の後に立ち寄ったアンドレは店主の経験の豊かさに感嘆せずにはいられなかった。アンドレの説明だけでジャルジェ夫人の愛用するラベンダーの香水を完璧に複製する事が出来たのである。
「残念ながら今日の所はこの香水を一瓶分作る程の材料が有りません。取り寄せるのに2−3日掛ってしまいますが。」
店が小さいだけに在庫も少なく、ジャルジェ夫人が使うような高級な香水の材料は多くは置いていなかったのだ。
「それは大丈夫です。次の休暇は4日後ですので、その時に取りに来ます。」
アンドレは満足して店を後にしたのだった。

************

その日頼んでいた香水を取りに行くと、小さな店内には数人先客がいた。アンドレが彼の番を待っていると店の窓から二組の青い衛兵隊の軍服が見えた。それはアランとフランソワだった。 この頃のアランは口こそ悪いがおとなしく班長としての仕事を良くやり、皆をまとめてくれていた。もともと頑張り強く真面目で仕事熱心なオスカルの事だ。衞兵隊も彼女の公平で思慮深い管理方法に慣れてくるとオスカルに尊敬の意を示す様になった。
「おや?」
よく見ると通りかかる人達が皆アランに挨拶をしたり、話しかけたりしている。もちろんパリ市内の警備は衞兵隊の役目でもあり、当たり前なのかもしれないが、あの仏頂面の男がこんなに愛想が良いとは意外だった。 

その時大きな荷物を背負った年寄りの女が歩いて来た。アランは女に話しかけると、大きな荷物をフランソワに渡した。そして自分は年寄りをおぶって歩き出したのだ。
「あいつ、本当は良い奴なんだな。」
アンドレは老婆をおぶって歩いて行くアランの後ろ姿を見ながら微笑んだ。
「優しいのに口下手で不器用で…俺の知っている誰かさんに似ているな。」

************

暫くしてようやくジェルジェ夫人の香水を受け取ったアンドレはその小さな包みを大事に上着の胸ポケットにしまうと、店を出た。その頃老婆を家に送り届けたフランソワとアランが香水店を出て来るアンドレを見かけた。
「アラン、見ろ!あれは、アンドレじゃないか。へえ〜っ。お屋敷ではあんな綺麗な格好をしているのか。まるでお貴族様だぜ!」
上品で仕立ての良いお仕着せは、アンドレに取っては子供の頃から着慣れた物だが、パリの貧民育ちのフランソワに取っては とても手の届かない物だった。
「うるせえ!あんな奴ほっとけ!」
アランはフランソワに怒鳴りつけたがその目はアンドレの行動の一部始終を追っていた。

「あっ!あぶない!」

誰かが叫んだ。暴走した馬が通りを走って来る。人々が通りから逃げ散ったが、小さな女の子が一人、足がすくんだ様に取り残されていた。馬はその子供の方に向かって駆けて来た。周りの民衆から恐怖の叫び声が揚がったが、一瞬の差でアンドレが子供に駆け寄って抱き上げると通りの端の安全な場所まで連れ去った。
「もう大丈夫だよ。」
周りの人々から揚がった歓声にまるで気づかぬ様にアンドレは恐怖で未だ震えている子供をいたわってあげていた。
「さあ、家まで送ってあげよう。馬車にお乗り。誰か、この子の家を知っている方はいませんか?」
「ああ、知っているよ。あたしの家の近くだ。」
側にいた女が答えた。
未だ怯えている子供と、道案内の女を馬車に乗せるとアンドレの馬車はその場を去って行った。

************

「へえ、アンドレもなかなかやるじゃないか。優男だと思っていたけど割と骨があるんだな。」
「黙れと言っただろう!」
アランが又、怒鳴った。彼はアンドレが只の優男ではない事位、とうの昔に知っていた。頭の中に血だらけに痛めつけられても隊長の名誉を守り通したアンドレの姿がこびりついて離れなかったから。
「何だ、あれは?」
アランが止める暇も無く、フランソワが走り去った。丁度、アンドレが子供を救った辺りに小さな包みが落ちていた。フランソワはそれを拾い上げると得意そうにアランに見せびらかした。
「これはきっとアンドレのだぜ〜。良い匂いだ。きっと隊長に買ったんだ、あの色男!」
包みからほのかなラベンダーの香りが漂う。
「いや、この香りは多分、もう少し年配の奥様か誰かのだろう。」
アランは、それに隊長がいつも使うのはラベンダーではなくて薔薇だと、心の中で思った。
「よ〜し、これを馴染みの娼館(みせ)に持っていけば, 物物交換できるぞ〜!」
フランソワはご機嫌だった。しかしアランはその包みをフランソワからひったくると自分の胸ポケットにしまった。
「アラン!ずるいぞ!俺が見つけたのに!」
「馬鹿、これは持ち主に返すんだよ。行くぞ。そろそろ交代の時間だ。」
不服そうなフランソワをよそにアランが早足で衛兵隊の駐屯所へ向かった。

************

子供を送り届けてから屋敷に戻ったアンドレは馬車から馬を外して世話をする為に上着を脱いだ。その時に上着に入れたはずの小さな包みがない事に気がついた。
「しまった。あの時に落としたのか!」
子供を救う為に通りに走り出た事を思い出した。今頃は小さな香水瓶など粉々に踏み潰されている事だろう。幸いジャルジェ夫人の誕生日までは未だ日が有る。勿論、アンドレの俸給では香水を弁償するのは懐に痛い。オスカルに訳を話せば済む事だがアンドレ自身がそれを許さなかった。どっちにしても今日はどうする事も出来ない。アンドレは明日もう一度香水店に行く事にして、馬の世話に神経を集中した。

************

丁度アンドレが馬の世話を終えた頃、厩の扉が 開いて黒髪の男が扉の間から顔を覗かせた。
「アラン?」
「やあ。門番に聞いたらおまえは未だ厩だろうと言われたんだ。」
「何だってここへ?オスカルに何か取り次いで欲しいのか?」
「馬鹿言うな。用があるのはおまえだ。」
アランが軍服のポケットから小さな包みを引っ張り出した。
「おまえ、これを落としただろう?」
アンドレが目を見張った。それは紛れもなくジャルジェ夫人の香水の包みだった。
「…見ていたのか…」
アランが香水の包みをアンドレの手に預けた。
「ありゃあ、なかなか出来る事じゃねえ。見直したぜ。」
それだけ言うとアランが 踵を返した。
「待ってくれ!」
アンドレの叫びに、アランが振り返った。
「有り難う。助かったよ。それにしてもわざわざ屋敷にこなくても明日で間に合ったぞ。」
アランがニヤリと笑った。
「お前の事だ。明日一番で香水店へ戻ってもう一つ、同じ物を買っていただろう? いくらおまえでもこんなに高価そうな物を弁償するのは大変だろうと思ってな。」
アランの鋭い読みにアンドレも言葉が出なかった。

「…これで借りは返したぜ…」

今度は振り向かずに言って、アランが去って行った。

アンドレは、ほっと溜め息を吐いて小さな包みを握りしめた。アランの後ろ姿を見つめながら一人、呟いた。

「In the evening, the dove came back to him and there in its beak was a freshly-picked
olive leaf…」

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二人の旅立ち  (4)

「どうしたアンドレ?」
何か言おうとしたアンドレは又、口をつぐんだ。
「いや,何でもない。」
正直言ってアンドレは嬉しかった。今まで食材になど指一本触れた事の無かったお嬢様育ちのオスカルが彼の為にうまれて初めて作ってくれた食事である。結果はどうあれ、アンドレは最愛の人の心使いに胸が一杯だった。
「ありがとうオスカル。でも小川の向こうではもう、狩りをしないでくれ。」
「ああ,領主の許しも無く獲物を捕ったとは私もうっかりしていた。我が家の領地を確かめておくべきだった。これはお詫びをしなくてはならないな。」
「それは俺に任せてくれ。それよりお腹がすいているだろう? 軽く何か食べた方が良い。おまえの鳥は未だ焼けていないんだ。」
アンドレは手早くリンゴとカマンベールチーズのスライスを小皿に盛り,オスカルに食べさせた。
「なかなか良いカルヴァドスが有るんだ。」
アンドレがカルヴァドスのボトルを開けると甘酸っぱい芳香が漂った。
「うん,良い香りだ。頂こう。」
オスカルが前菜とカルヴァドスを楽しんでいるのを満足げに眺めていたアンドレは時を見計らってオスカルに尋ねた。
「おまえ疲れているだろう?少し休んだらどうだ?」
オスカルの額に軽く手を添えた。
「少し熱っぽいぞ。横になった方が良い。」
オスカルが不思議そうに自分の額に手を当てた。
「熱は無いと思うのだが…?」
「いや,ある。食事の支度が出来るまで少し寝ていろ。いいな?」
アンドレはオスカルをそっと抱き上げると寝室まで連れて行った。 久しぶりに歩きまわった為か、確かに疲れたようだ。アンドレの胸に抱かれて運ばれるオスカルは心地よく睡魔に襲われる。そっとオスカルを寝台に寝かせると静かに窓を閉めた。

************

厨房に駆け戻ったアンドレは大急ぎで竃を開けた。火葬された鶏を今はその棺となった鍋ごと取り出した。これは納屋の裏に隠して後でどこかに埋めよう。竃には香りの良いヒッコリーの薪をくべて焦げ臭さが取れるまで燃やしておく。財布から1リーブル硬貨をいくつか掴むと屋敷を出て丘を下った。小川を超えた畑の向こうにある農家に住む セルジュとポーレット・クレモンを訪ねた。隣人であるこの年配の夫婦は二月前にこの土地を視察に来た時以来世話になっている。二人が引っ越してくるまでの間セルジュとポーレットが屋敷の管理をしてくれていて,オスカルの事も聞いて知っていた。アンドレがオスカルの手でキジ狩りの犠牲になった鶏の事を話すと快く笑った。
「なあに,鶏の一羽や二羽、いつでも持ってお行き。ただし,猟銃は勘弁しておくれよ。驚いた鶏が卵を産まなくなっちまったら困る。」
「勿論です。これは少しですけれど…」
アンドレが硬貨をポーレットに渡した。
「たかが鶏一羽でこんなに沢山もらう訳には行かないよ!」
「実はもう一羽頂いてもいいですか?」
「ああ,厨房に一羽、丁度羽をむしって調理するだけのがあるけどそれを持っていくかい? あんたは急ぎの様だしね。」
「本当ですか?助かります!」
鶏をもらったアンドレはセルジュとポーレットに礼を言って屋敷へと戻っていった。

***********

ヒッコリーの薪のお陰で竃の焦げ臭さは抜けていた。手慣れた包丁さばきで鶏肉を骨から削ぐと塩とレモンペパーをもみ込んで小鍋に入れた。アンドレはサヴニエールの白ワインを開けるとグラスにワインを注いだ。そしてグラスのワインをパセリと一緒に鶏肉に振りかけると残りをラッパ飲みした。これなら20分で出来る。後は付け合わせの野菜とジャガイモで何とかなる。アンドレは残りのサヴニエールを飲み干すと溜め息を吐いた。

***********

丁度 支度が出来た頃、人の気配がしてオスカルが二階から下りて来た。
「うん,いいにおいだな。」
「疲れは取れたか? 今、起こそうと思っていたところだ。」
テーブルの上には鶏肉料理から湯気が立っていて、ほのかな白ワインの香りが食欲をそそる。
「これがあのキジか?」
「そうだよ。ただしこれはキジではなく鶏だ。」
「おまえはまるで魔術師だ。うん、とても美味しい。」
「それも皆、おまえのお陰だよ。ありがとうオスカル。」
アンドレの目の前に喜びを隠せないオスカルの蒼い瞳が笑っている。アンドレは思った。この微笑みを見る為なら俺は何でもしよう。オスカルを抱き締めるアンドレに甘やかな薔薇の香りが鼻をくすぐる。この甘やかな香りの中で俺はとろけてしまいそうだ。
「この位、いつでもまかせろ。」
オスカルが得意そうに答えた。

「乾杯しよう。俺たちの新しい暮らしを祝って。」
アンドレが二本目のサヴニエールを開けて言った。

乾杯する二人の周りで幸せな La Petite Chaumière の夜が更けていった。

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二人の旅立ち  (3)

「アンドレ…」
寝返りを打って延ばした腕は空を切ってシーツに触れた。
「オスカル,もう起きたのか? もう少し横になっていろ。今、朝食を持って来てやる。」
もう身支度を整えたアンドレが寝室の窓を開けた。白いカーテンの間から朝の光と潮の匂いのする風が入ってきた。
「そうだ。私は本当にマダム・グランディエとして此処にいるんだ。」
二人で歩いて来た道のりは長く、苦しい事もあったけれど,今はもう思い出にすぎない。 回り道もしたけれど今こうして此処にいるのは自分と最愛の男だけなのだから。いつまでもこうして二人で海を見ながら生きていきたいと、オスカルは思った。 そうこうしているうちにアンドレが 戻ってきた。木のトレイの上にはリネンのナプキンが敷かれ、小さな花瓶に一輪の白薔薇が飾られている。焼きたてのパンと淹れたてのコーヒーの匂いが鼻をくすぐる。
「卵も肉も無かったから今朝は燻製のソーセージでがまんしてくれ。幸い果樹園にオレンジがあったからジュースは新鮮だぞ。今日俺が買い出しにいくから、今夜からは好きな物を食べさせてやる。」
寝台の上で未だ暖かいパンをほおばりながらオスカルが満足そうに答えた。
「うん、 おいしいぞ。おまえが作る物はなんでも最高だ。」
「よかった!ゆっくり食べて、もう少し休むと良いよ。おまえはまだ疲れているんだろう?おまえが休んでいるうちに買い物を済ませてくるよ。」
ナプキンの角でオスカルの唇についたパンの粉を払い落とすと、頬に口づけした。
「トレイはそこに置いておけ。俺が後でかたずける。じゃ行ってくる。」
「解った。アンドレ…」
「何だ,オスカル?」
「…いいや,何でも無い。」
「…俺も愛しているよ!」

オスカルが答える前にアンドレが階段を駆け下りて出て行った。

***********

朝食を済ませたオスカルは,暫く休んでいたが 退屈しのぎに屋敷の中を探検する事にした。クローゼットの中から白い木綿のシャツとブルーのキュロットを選ぶとそれに着替えた。二階は皆寝室で、なかでも一番北側にある小さな使用人の部屋は長い事使われていなかった様で物置代わりになっていた。そこでオスカルはいくつかの銃と火薬に銃弾を見つけた。
「しめた、これで狩りができる。うまく兎かキジでも獲れれば夕食に丁度いい。」
幸いと銃は手入れがしてある様で,その内のマスケット銃を選んで外に出た。海とは反対方向に丘を下るとそこには果樹園があり,小川が流れていた。ブーツのまま水に入ると川は思ったよりも浅く簡単に渡る事が出来た。向こう岸は畑が広がっていてそこにキジらしい鳥をみつけた。
「やけに尾の短いキジだな。白いのもいるぞ。」
オスカルはマスケット銃に火薬と弾を込めてゆっくり狙いを定めた。息をとめて引き金を引くと、一番太った白いキジの羽が舞い上がった。他のキジは大騒ぎでいろいろな方向に走っていく。
大満足で白いキジを拾うとオスカルは屋敷に戻っていった。

************

「アンドレは未だか?」
テーブルの上の白いキジを見つめてオスカルが呟いた。その時オスカルに一つの考えがうかんだ。
「よし,このキジは私が料理しよう!私の料理でアンドレをおどろかせてやるんだ!」
思いつくと行動の早いオスカルだ。先ずは竃に火をつけた。軍の野営で火を焚く事だけはやった事がある。十分に火がつき、竃が暖かくなると戸棚の上にあった大きな鍋にキジをそのまま押し込むと竃の中に入れた。
「味付けはアンドレに任そう。なあに,あいつの事だ,上手くやってくれるだろう。」
オスカルは満足そうに言うと居間の長椅子に腰掛け、知らぬうちに眠ってしまった。 

*************

「思ったより時間がかかってしまったな。可哀想に、オスカルもきっと腹をすかせているだろうな…」
荷馬車で屋敷に向かうアンドレは丘の上に見えて来た La Petite Chaumière の煙突から黒い煙が立ち昇っているのを見て嫌な予感を隠せなかった。10月初旬の Vallée de Sérénité は未だ温暖で暖炉は必要ない。とすると、煙は竃からに違いない。
「オスカル,おまえ何をやったんだ!」

アンドレが屋敷に着くと居間でうたた寝していたオスカルが目を覚ましてうれしそうに言った。
「アンドレ!今日は、私が夕食を作っているのだ。」
アンドレは動揺を笑顔で隠してオスカルに優しく聞いた。
「夕食って一体何を作っているんだ?」
「小川の向こうの畑で白いキジを捕った。」
得意そうなオスカルの肩を抱き締めるアンドレが囁いた。
「小川の向こう?それはまずいぞ。俺たちの土地は小川のこちら側までだ。そこから先は近所の農家の土地だ….白いキジだって??」
その時、厨房のテーブルの上に白い鶏の羽が落ちているのが見えた。
羽を拾い上げたアンドレがオスカルに尋ねた。
「これが『キジ』の羽?」
「ああそうだ。そんなに羽が見たければ、残りは竃の中にあるぞ。」
「なんだって?」
アンドレがあわてて竃を開けると黒い煙が厨房に立ちこめた。真っ黒に焦げた鍋の中には羽ごと黒く焦げた近所の農家のものであるらしい鶏が丸ごと(頭や臓物もそのままで)入っていた。

「後はおまえに任すぞ。」

オスカルが涼しい顔でアンドレに言った。


二人の旅立ち  (2)


「オスカル,観てごらん、コート・ダジュールだ。」
オスカルが窓の外を見ると白い砂浜に蒼い海が水平線に広がっている。秋だというのに未だ強い日差しが水面に反射して銀色に煌めいていた。そして水平線の終わりには,雲一つない空がやはり蒼く続いていた。
「何て 美しいんだ!」
オスカルが溜息を漏らした。
「おまえの瞳の色だ。」
アンドレが海とオスカルを交代に見つめながら言った。
「俺たちの新しい家はもうすぐそこだ。」

アンドレの指差す方角には丘が広がっていて、馬車がそこを昇り詰めると、沢山の木や花に囲まれて La Petite Chaumière があった。紅い瓦に白い石壁の屋敷は ピンクの蔓薔薇と、つたの緑が鮮やかだった。沢山ある窓にはプランターが置いてあり,色とりどりの花が咲き乱れていた。
「この屋敷の裏には厩と納屋がある。そして敷地内には果樹園や小川もあるんだ。」
子供の様に目を輝かせて説明するアンドレを満足そうに見つめるオスカルの視線に気がついた。
「まあまあだろ?」
「当たり前だ。おまえが選んだのだから。」

馬車を降りて背中を思い切り延ばした二人はLa Petite Chaumière の扉を開けた。明るい色の室内は居間から厨房まで品の良い調度品や家具が程よく空間を埋めていた。
「この短い期間で良く揃えたな。」
「実は調度品も家具もひっくるめで買ったんだ。持ち主が外国に亡命するのに全てを捌きたかったらしい。俺としてもその方が都合が良かったしな。」
「そうか。前の持ち主の趣味が良くて良かったな。」
「ああ,助かったよ。」
階段を上がるとすぐに一番大きな寝室があった。南に面したその部屋はバルコニーも有り、晴れた日にはコート・ダジュールも見えた。
「この窓から見る海はまるで名画のようだ。」
「気に入ってくれたかい?」
「勿論だ。この海を見ているだけで、心が和む。」
クローゼットの中にはオスカルに合いそうな服が女装と男装と両方揃えてあった。
「どちらを着るかはおまえの自由だよ。 おまえが着慣れているのは勿論男装だけれど、親王派が探してるのも、男装のおまえだ。ひっそりとくらしたいのなら女装の方が目立たないかと思って。」
アンドレの揃えた女性用の服は今まで着た物とは違って、 シンプルで窮屈ではない。結婚式のローブ姿を見たアンドレはまるで魅せられた様にオスカルを見つめてくれた。こういった村娘のような服を着てもアンドレは熱い眼差しで見つめてくれるだろうか?モスリンのさらさらとした感触を楽しむ様に手で触れながらオスカルが呟いた。

「この様な格好をしてみるのも楽しいかもな…」





 

二人の旅立ち  (1)

「オスカル,本当にいいのか?」
最後の荷物を馬車に積みながらアンドレが言った。
「今更何を言う。 屋敷を出た日からもう心は決めていた。私のいる場所はおまえの側しか無い。」
「おまえの慣れている様な、何不自由の無い暮らしはこの先には待っていないぞ。」
「そんなものは百も承知だ。贅沢な暮らしが惜しければ民衆側に着くと思うか?」
「解っている。念を押しただけさ。」
アンドレの頬にオスカルが手を差し伸べた。
「私の欲しい物はこの目の前にある。」

アンドレが静かに頷いてオスカルの手を取り、馬車に導いた。オスカルを気使って柔らかなクッションと毛布をいくつか並べて彼女の休み易い様にして座らせると自分も寄り添う様にその隣に腰掛けた。
「オスカル様、お達者で。御体に気をつけて下さいませ。」
オスカルに駆け寄ったロザリーの目から大粒の涙が零れ落ちる。
「大丈夫だ。又会おう、私の春風。おまえも元気でいるんだよ。」
アンドレが御者に合図をすると馬車が静かに走り出した。
「長い旅だ。少し休むと良い。」
アンドレの言葉に目を伏せたオスカルが肩に頭を預けた。程よい馬車の振動にオスカルの呼吸が寝息に変わりつつある。透けるような白い肌に金褐色の睫毛が今は閉ざされている蒼眼を縁取っている。アンドレの腕の中でまどろむその姿は何よりも愛しかった。
「今夜はリヨンの辺りで泊まろう。美味しいボジョレのワインを飲ませてあげるからな。」
オスカルの肩を毛布で覆いながらアンドレが囁いた。

********

その晩二人はリヨン市内のベルクール広場の近くにある宿屋に泊まった。質素だが小綺麗な部屋の窓からはルイ14世の騎馬像が見える。シーザーの副官が築いたと言うこの街は至る所にローマ文化の名残が有り,その間を縫う様に葡萄畑が広がっている。少し疲れた様子のオスカルの為に夕食は部屋で済ませた。彼女の食欲は余り無かったが美味しいボジョレのワインのせいか、顔色だけは少し良くなっていた。

オスカルが湯浴みを終えるとアンドレが丹念にオスカルの黄金の髪を梳いた。二人きりになるのは結婚式の夜以来だったがオスカルの疲労を心配してアンドレはわざと距離を置いている。これ以上近づくと自分の情熱を抑えきれないのが解っていたから。アンドレの気持ちは痛い程解っていたオスカルだったが自分の思いを伝える術をしらなかった。アンドレの体の温もりを自分の中で感じたかったのに。それは初めて全てを捨てて旅に出た心細さなのか,愛に目覚めた心と共にその体も愛しい男を欲しているのかオスカルには解らなかった。アンドレに自分の気持ちを伝えようとほんの少し胸のボタンを開ければアンドレは目をそらすし,甘く溜め息を吐けば政治の話をしだす。(これ以上色気の無い話は他に無いじゃないか!)そんなオスカルの気持ちも知らず,だんだん機嫌の悪くなるオスカルを見守りながらアンドレはどうしようもなかった。

「もう今夜はお休み。」
アンドレはオスカルの額に口づけすると部屋を出て行こうとした。
「何処へ行く?」
「隣にもう一部屋とってある。その方がおまえが良く休めると思って。」

アンドレの言葉にオスカルの忍耐力と羞恥心は限界を超えた。
「いい加減にしろ!馬鹿やろう!」
オスカルの投げつけたワイングラスは壁にぶつかって砕けた。
「ど…どうしたんだ、一体?」
「一人で眠りたくて結婚したと思っているのか?」
「無理だ。おまえと一緒に寝たら手を触れずにいる自信が無い!」
「その何が悪い?私だっておまえに抱かれたいんだ!」
勢い余って叫んだ言葉の意味に気がついてオスカルは気が遠くなるほど赤面した。
「今何と言った?」
「馬鹿。二度とそんな事を言わせるな。」
オスカルが頭から布団を被って顔を隠した。
「ごめんよ,オスカル。俺はおまえの体に気を使い過ぎておまえの心に気使ってやらなかったんだね。」
オスカルのとなりに腰を下ろしたアンドレが優しく布団を下げてオスカルの顔を見つめた。余りの恥ずかしさに真っ赤になった顔がオスカルの蒼い瞳をなおさら蒼く見せた。
「俺はいつだっておまえの僕だ。俺の出来る事は、何でもおまえに捧げよう。それは俺の一生の誓いだ。」
アンドレがオスカルの肩から夜着をそっと取りさった。アンドレの熱っぽい唇が露になった肩からうでへ、そして指先へと滑っていく。

「お医者様だって言っただろう?」
早くも機嫌を直しかけたオスカルが囁いた。

「適度の運動は体に良いと…」

Story Index / Timeline

Story Index / Timeline updated: 27 May 2012

November 1793: 願いの石 (1)−(3)
(3)
(2)
(1)
December 1792: 新しい別れと出会い (6) おまけ
(6)
November 1792: 鱈の塩漬け
鱈の塩漬け
November 1792: 新しい別れと出会い (1) −(5) 
(5)
(4) 
(3)
(2)
(1)
10.4.1792: 聖フランソワ (4)
(4)
May 1792: Caged Lion
Caged Lion
Mar 1792: 四旬節 -Lent- (5)ー(6)そして復活祭 (Easter)
(6)
(5)
Feb 1792: 四旬節  -Lent- (1)ー(4)
(4)
(3)
(2)
(1)
10.4.1791: 聖フランソワ (1)—(3)
(3)
(2)
(1)
Mid April 1791 洗礼(1)—(2)
(2)
(1)
3.18.1791: Sainte Cecile (聖セシル)
Sainte Cecile (聖セシル)
1.8.1791: Epiphany
Epiphany
November 1790: 牧羊犬 (2)
牧羊犬 (2)
August 1790: Blind Fold (目隠し) (4)
(目隠し) (4)
August 1790: 牧羊犬 (1)
牧羊犬 (1)
May 1790: Blind Fold (目隠し)(1)−(3)
(3)
(2)
(1)
April 1790: Samson and Delilah  (アンドレ失明)
Samson and Delilah
October 1789:銀の指輪 (1) ー(5)
(5)
(4)
(3)
(2)
(1)
October 1789:二人の旅立ち (1)ー(4)
(4)
(3)
(2)
(1)
9.2.1789: Déjà vu (デジャヴュ) (1) - (7)
(7)
(6)
(5)
(4)
(3)
(2)
(1)
9.2.1789: Saber Arch 〜光の並木道〜
Saber Arch 〜光の並木道〜
Mid August 1789:
Change of Command/Last Roll Call
Mid August 1789: A visitor (訪問者)
A visitor (訪問者)
Mid August 1789:  涙の行方 (2)(後半)
涙の行方 (2)(後半)
Mid August 1789: Just say Yes
Just say Yes
Early August 1789: Into the Fire We go (おまけ)
Into the Fire We go (おまけ)
Early August 1789: 本当の理由は (アンドレの独り言)
本当の理由は (アンドレの独り言)
Early August 1789: 本当の理由は
本当の理由は
Late July 1789: 夫婦喧嘩は…
夫婦喧嘩は…
7.14.1789 (PM): Into the Fire We Go (3)
(3)
7.14.1789 (AM): Into the Fire We Go (2)
(2)
7.13.1789: Into the Fire We Go (1)
(1)
7.13.1789: A knight in shining armor (輝く鎧の騎士)
A knight in shining armor (輝く鎧の騎士)
7.11.1789 and September 1789: Camille (カミーユ)(2)
(2)
Early July 1789: Camille (カミーユ)(1)
(1)
Early July 1789: Subtle Change
Subtle Change
Mid December 1788: 花と蝶 (1)−(4)
(4)
(3)
(2)
(1)
Late November 1788: Aurora Borealis
Aurora Borealis
November 1788: Mea Culpa (私の罪)
Mea Culpa (私の罪)
June 1787: オリーブの小枝
オリーブの小枝
April 1787: 心の糧 -Something to believe in-
心の糧 -Something to believe in-
1777: First Communion (初聖体) (7)おまけ
(7) おまけ
September 1773: 白い鹿 (1)−(4)
(4)
(3)
(2)
(1)
1769:涙の行方 (2)(前半)
涙の行方 (2)(前半)
1764: 涙の行方 (1)
涙の行方 (1)
July 1763: First Communion (初聖体) (6)
(6)
June 1763: First Communion (初聖体) (1)− (5)
(5)
(4)
(3)
(2)
(1)

涙の行方 (2)

年月が経ち、子供たちは成長していった。アンドレが 馬の世話をしていると、いつもの様に士官学校から帰って来たオスカルが馬車から飛び降りた。アンドレを見るなり、彼の腕の中に飛び込んで来たオスカルは無言で 彼の胸に顔を埋めた。オスカルの熱い涙がシャツを濡らす。
「どうした?なにがあったんだい?」
「上級組の奴らだ。女だと思って馬鹿にしやがって…叩きのめしてやった!」
オスカルの頬には擦り傷が有り又喧嘩をしたのが手に取る様に見える。
「オスカル!何て言葉使いだ!おばあちゃんに怒られるぞ!」
「かまうもんか!」
悔しそうにアンドレのシャツを握りしめるオスカルの背中をアンドレが優しく擦った。
「それで肝心の校内剣術大会の方はどうなった?」
「勿論優勝したさ。」
下級生の、しかも女であるオスカルに剣で負けた上級生達が悔しさ紛れに喧嘩をふっかけて来たのは言うまでもない。
「そうだろうと思ったよ!」
「それだけじゃない。」
「何だ?」
「今年の大会は父上の剣を使ったんだ!」
アンドレの顔が嬉しそうに綻んでオスカルまでつられて笑ってしまった。
「やったあ!オスカル!旦那様にお知らせしないと…」
「もういいんだ。」
「えっ、何故? あんなにがんばって訓練していたのに。」
「昔は、父上に認めてもらう事だけが目標だったけど、今ではその必要がない事が解ったんだ。それに私を本当に理解してくれるお前が喜んでくれるだけで嬉しい。」
オスカルが涙を拭って言った。
「アンドレ、いくぞ!屋敷まで競争だ!」
「よし!」
二人の笑い声が青い空の下で響き渡った。

*********

オスカルは彼女を包む様に寝台の上にすわっているアンドレの腕の中で目を覚ました。そこはパリの病院の一室。…そうだ、又咳血して咳が止まらなくて…そのまま力が尽きる様に眠りに落ちてしまったらしい。 
「目が覚めたのか?」
傷ついた左腕を庇いながらそっとオスカルの額から汗を拭うアンドレが話しかけた。自分こそ銃創の傷が痛むだろうに。
オスカルの蒼い瞳に涙が潤む。
「死ぬのは恐れてはいない。でもお前と離れる事だけが怖いんだ。」
「オスカル、そんな弱気でどうする?言っただろう?俺たちは海辺で暮らすんだ。すぐに良くなるさ。」
アンドレがオスカルを抱き締めた。包帯に巻かれただけのアンドレの素肌の胸からトクン、トクンと力強い心臓の音が聞こえてくる。その音がいい様に無く懐かしい。
「今、子供の頃の夢を見ていた。私は、本当は泣き虫だ。永い事おまえの胸の中だけで泣いて来た。」
氷の華と呼ばれたオスカルがいかに自分自身に厳しかったかはアンドレが一番良く知っていた。そしてどこにもやりようの無い悲しみや苦しみをアンドレの胸の中だけでは自由にとき放つ事が出来た事も。
「アンドレ、おまえの心は重たくないのか?おまえはいつも私の涙の重みを支えて来た。」
「いいや、おまえの涙はちっとも重くなかった。おまえが俺を頼ってくれていたのが嬉しかったな。枯れ果てた大地を潤す雨の様に、おまえに役立てる事だけが俺の生きている証になった。おまえは俺の渇きを癒す命の水だ。」

「ありがとう、アンドレ。おまえがいる限り、わたしは大丈夫だ。」
「ああ、いつまでもこうして二人で生きていこう。」

オスカルの瞳から涙はいつの間にか消えていて、代わりに小さな希望の光がそこにあった。

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涙の行方 (1)

アンドレとオスカルは、裏庭で剣の稽古をしていた。すると珍しく ジャルジェ将軍が早く帰宅した。軍用で忙しいジャルジェ将軍はこのところ朝が早く夜が遅かった。久しぶりに父の顔を見て大喜びのオスカルはジャルジェ将軍にせがんだ。
「父上,僕の剣の腕前をご覧になって下さい。僕、毎日猛練習して、とても上達したんです。」
「よし,オスカル。それでは拝見しよう。アンドレ,オスカルの相手を頼むぞ。」
「はい、旦那様。」
二人はいつもの様に手を合わせた。アンドレは必死だったが、幼少の頃から剣を扱ってきたオスカルとでは勝負にならない。それにオスカルの身の軽さを加えればアンドレに勝ち目は無かった。瞬く間に弾かれて跳ね上がったアンドレの剣は空で弧を描き,地面にぶすりと突き刺さった。それは見事な動きだった。アンドレにさえもそれは一目瞭然だった。

将軍の褒め言葉が何よりも欲しかったオスカルは期待に溢れた目で父親を見つめた。ジャルジェ将軍もオスカルを抱き上げて誉めたい衝動を、心を鬼にして抑えた。いくら可愛い娘でも,男として育て 家督を継ぐ以上、男として扱わなければならない。顔色一つ変えずに将軍が尋ねた。
「オスカル,お前は何年、剣の練習をしている?」
「もう5年になります。」
「アンドレ,お前は?」
「ええと、御屋敷に来たのが去年ですからもうすぐ一年になります。」
「オスカル,アンドレは未だ初心者だ。初心者に打ち勝っても自慢にはならぬぞ。」

将軍は自分の剣を腰から引き抜きオスカルに手渡した。その剣はずしりと重く,小さなオスカルには両手で持ち上げるのがやっとだった。
「お前がこの剣で,アンドレに勝てる様になったら一人前だ。もう一度手を合わせてみろ。アンドレ、頼むぞ。」
8歳のオスカルは重たい剣を構えるのがやっとだった。アンドレはどうしていいか解らなかったが将軍が静かに言った。
「アンドレ,構わぬ。オスカルの為を思うなら全力でかかれ。」
それでも躊躇するアンドレにオスカルが目で言う通りにしろと嘆願した。

覚悟を決めたアンドレが踏み込んで剣を振るうとオスカルが辛うじてそれをよけた。そしてオスカルが両手で切り込んだのをアンドレが受けた時、将軍の重たい剣が手から弾けて地面に転がった。

「オスカル、自慢するのは まだまだ早いぞ。」
将軍は、剣を拾い上げると振り向きもせず立ち去ろうとした。

可哀想なオスカル…アンドレは思った。オスカルが欲しいのは将軍の優しい言葉だけなのに。一番年下のオスカルが、姉達の様に旦那様に甘えたいのを一生懸命、我慢するのを見るのは 胸が痛む。

「父上!」
将軍が振り向くと,オスカルが将軍に駆け寄り,足元に跪いた。
「父上,お願いです。私にその剣をお貸し下さい。その剣で誰にも負けぬ様になりとうございます。」
「よかろう。しかし,これを与える訳にはいかぬ。即刻、これと同じ物を誂えよう。よいな?」
「はい、有り難うございます。」

オスカルはその場に立ちすくんで将軍の後ろ姿が見えなくなるまで動かなかった。将軍の姿が屋敷の中に消えると, 大きく息をはいたオスカルの背中が小刻みに震えて、一生懸命涙を堪えているのが解った。軍人は人前で泣いてはいけないと何時も父親に言われていたから。アンドレがそっとオスカルの肩に手をかけて言った。
「オスカル。いいんだよ、泣いても。君と僕との秘密だ。」
アンドレの優しい言葉にオスカルが振り返り、アンドレのシャツの胸にしがみついた。アンドレの胸の中で、蒼い瞳から涙が止めども無く零れ落ちてシャツを濡らした。
「思いっきり泣いていいよ。僕はいつだって君の側にいるから。」

暫くしてやっとオスカルの涙がかわいた頃、女中がオスカルを呼びにきた。
「オスカル様、ヴァイオリンのお稽古の時間です。マエストロがお待ちです。」
「解った。今行く。」
もう一度袖で顔を拭いて、涙の痕を消してからオスカルが駆け出した。
「じゃあ、僕行ってくる。」
「うん、僕は此処で待っているよ。」
アンドレが笑って答えた。

二人はジャルジェ夫人が薔薇の世話をしながら庭園で一部始終を見ていた事を知らなかった。夫人はオスカルがいなくなるのを待ってアンドレの前に現れた。ジャルジェ夫人に見られていた事に気がつくと、アンドレは恥ずかしくなった。
「奥様…」
「いいのですよ、何も言わなくて。」
夫人はアンドレを抱き締めた。夫人の頬には涙が光っていた。
「ありがとう、アンドレ。貴方はオスカルの心の支えです。あの小さな肩に全てを背負い込んで生きる私の娘に、初めて安らぎを与えてくれたのは、貴方の胸なのです。どうぞ、これからもあの娘を支えて上げて下さいね。オスカルは一人で声を殺して泣く事に慣れ過ぎた、可哀想な子供です。」

「はい、奥様。僕はオスカルの為なら何でもします。僕、オスカルが大好きだから。」

ジャルジェ夫人を見つめて、黒い瞳の少年が屈託なく笑った。

心の糧 - Something to believe in -

注:暴力有りです!

「本当にいいのか?今からでもお前の名前を夜勤の予定表から外す事もできる。」
「だめだ。そんな事をしたら えこひいきだと思われて,兵士達の反感を買うだけだ。」
「しかしお前はもとより兵としてでは無く、私の側近として此処に着た。第一、軍亊訓練など受けた事もないのだろう?」
「何とかなるさ。それよりもお前は早く屋敷へ帰れ。いいな?」
アンドレは馬車の扉を閉めると、御者に合図をした。心配そうなオスカルへ馬車の窓越しに目配せをすると、馬車が勢い良く走り去るのを確かめてから兵舎へとむかった。

アンドレはその時,木陰で彼の後ろ姿を見つめていた男達に気がついてはいなかった。

*******

「アラン、あの男女、今帰って行ったぜ。黒髪の腰巾着野郎が珍しく一人で兵舎に残っている。それにしてもあの二人、只の仲じゃなさそうだ。」
「そう言えば,あいつがあの女にため口を使うのを聞いたぜ。士官に対等な言葉を使う兵卒なんているか?」
「ひょっとして、あいつがあの女の愛人?」
「まさか!大貴族の令嬢と兵卒じゃ差が有りすぎる。」
皆が口々に喋った。アランがそれを制する様に言った。
「いいや,ありえるぞ。貴族の女が使用人や付き人の男を慰み者にするなんて珍しい事じゃねえ。」
読み書きも殆ど出来ない連中の中で唯一の士官学校出で、リーダー格のアランだ。彼が言えば、皆が真に受けてしまう。 男達が、納得した様に頷いた。
「良いか,此の事は黙っていろよ。あの男を上手く使えるかもしれねえ。」
「アラン,何か考えが有るのか?」
「ああ,上手く行けば此処数日中にあの忌まわしい女隊長を追い出せるって筋書きさ!」
アランが皆の耳に計画を囁いた。

********

その夜アンドレはラサールと二人で兵舎内の見回りに当たっていた。それまで無口だったラサールが突然叫んだ。
「アンドレ,見ろ!あの物資倉庫の窓に灯りが灯っている。」
「武器目当ての賊かもしれない。ラサール,お前は当直の士官に連絡をしてくれ。俺は様子を見てくる。」
「解った!」
ラサールが衞兵隊司令部の方に走り去るのを見送ったアンドレは物資倉庫にそっと近づいた。窓の外から倉庫を覗いた時,誰かが後ろから銃床で思い切りアンドレの頭を殴りつけた。そして突然灯りを消した様にアンドレの目の前が暗くなった。 

*********

誰かが呼ぶ声に目を覚ましたアンドレは自分が上半身裸で両腕を広げた状態で倉庫の二本の柱の間に縛り付けられていたのに気がついた。
「やっとお目覚めか。」
「おまえは確かアランと言ったな?」
「なかなか覚えがいい様だな。ところでお前は読み書きが出来るのか?」
「もちろん。フランス語だけではなく、ラテン語,英語,そしてドイツ語も一通りな。」
「ほう、ただの兵卒にしては、なかなか 学があるのだな。」
「俺の教養の話をする為なら何も縛り上げる事は無いだろう。お前の目的は何だ?」
アランが鼻で笑った。
「お前は,話が早いな。気にいったぞ。なに,此の手紙にお前の署名を頂ければそれで良い。」
アランが突きつけた手紙はアンドレがオスカルと愛人関係である事を認めたものだった。
「そんな嘘八百並べた物に俺の署名が出来るか。それにしても一体どういうつもりだ?」
「なあに、これをブイエの爺が読んだら破廉恥な愛人連れの女隊長を首にする事は、間違い無しだ。最もその前に脳卒中で倒れなければの話だが。」
「断る。」
「減らず口が叩けるのは今の内だぜ。痛い目に会う前に署名しろ。なあに,お前程の色男なら、いくらだって紐にしてくれる女に事欠かないだろう。何もわざわざ可愛げのない男女じゃなくてもな。」
「話すだけ無駄だ。それに今頃ラサールが当直の士官を連れて戻って来る頃だ。俺がいなければ倉庫の中を探しにくるだろう。」
アランが笑い出した。
「あいにくだったな。」
その時倉庫の闇の中から歩み寄る人影が視覚の端から目にはいった。

それはラサールだった。アンドレは肩を落として頭を垂れた。

「仕方が無い。何処まで強情を張れるか見せてもらおう。ラサール!」
馬鞭を握ったラサールが進み出た。
「良いか,服で隠れる場所だけだ。いいな?」
「ああ,まかせろ。」
風を切って打ち下ろされた鞭がアンドレの背中に緋色の線を残した。打たれる度に広がっていく筋肉をちぎるような痛みを堪えようと、アンドレは唇を噛み締める。見る見る内に腫れた皮膚が裂け、血が滲んだ。強く噛み締めた唇が切れて一筋の血がアンドレのあごに向けてしたたり落ちる。

「さて,もう一度聞く。署名する気になったか?」
「断る。いくら聞いても同じだ。」
「しぶとい奴だな。たかが衞兵隊隊長の座ではないか。 あの女の父親は将軍様だろう。此処を止めさせられても、それなりの部署をあてがってくれるだろうが。」
「お前らは何も解っていない。将軍のいいなりに成る位ならオスカルはこんな所には来るまい。」
「黙れ。さっさと署名さえすれば逃がしてやると言っているんだ!」
「何を言っても無駄だ。オスカルの心を乱すものや、オスカルの名を汚すものを遠ざける事ができるのなら、この肉体の痛みなんて、どうでも良い事だ。」
「たかが貴族女の為にお前はどうしてそこまでするんだ?」

「悪口はもう聞き飽きた。悔しかったらお前らも何かに命を懸けてみろ!」
アンドレはぎらぎらと燃えるような瞳でアランを睨んだ。普段穏やかなアンドレの意外な面を見てアランは当惑した。 …どうだ,思い知ったか?俺はオスカルの為にだけ生きているのだから… アンドレは心の中で呟き、そのまま気を失った。

「俺もう嫌だよ,アラン。」
ラサールが弱音を吐いた。
「俺、こんな優男の事だ、鞭の一振りで弱音を吐くとばかり思ったんだ。」
アンドレの血にまみれた背中を見てラサールが泣きそうな顔をした。
アランもそのつもりだったのだ。脅すだけで済むと思っていた。アンドレの態度に退くに退けなくなってしまった。こんなはずじゃなかった。
「もう良い。縄をといてやれ。」
アランとラサールは気を失ったアンドレを担いで倉庫を出た。
「…お前には負けたよ。」
アンドレの背中に囁いた。

**********

アンドレは兵舎の寝台で目を覚ました。もう朝日が昇っていて彼の夜勤はとっくに終わっている。そろそろオスカルが出勤する頃だろう。起きようとした時、背中に鋭い痛みが走って顔を歪めた。しかしアンドレの背中にはきちんと包帯が巻かれていて消毒薬と痛み止めの軟膏の匂いがほのかに漂っている。枕元には4つにちぎった紙切れが申し訳なさそうに置いてあった。それはアンドレが署名を拒否したブイエ将軍宛の手紙だった。そっと軍服に腕を通すと背中は焼ける様に熱い。アンドレは燭台の炎で手紙を跡形無く焼き捨てた。

**********

暫くすると,ゆっくり扉が開き,ラサールが入って来た。アンドレが起きているのを見ると寝台の前に立ちすくんで頭を下げた。
「ごめん。こんなはずじゃなかったんだ。ただ、脅かすつもりだったんだ。」
「ああ,解っているよ。気にするな。」
「アランと相談したんだけど、お前の傷が治るまで俺たちが夜勤を代わるよ。」
「それは助かる。」
「本当にすまねえ。」
「もう,言うな。」
「それで…お前、此の事を隊長に言うのか?」
「馬鹿。言う訳無いだろう。」
それだけ言うとアンドレは 立ちすくんでいるラサールを後にしてオスカルの待つ司令官室へと向かった。
 
************

その頃夜勤明けのアランは酒瓶を抱えてセーヌ川の畔に座って小石を投げていた。いくら飲んでも昨夜のアンドレの事が頭から離れない。血だらけで痛みを堪えてまで,あの貴族女を庇うのは何故だ? あの女に惚れているのか?いいや,二人の結びつきはもっと深く,強いような気がする。アンドレの言葉が木霊の様に頭の中に鳴り響く。
「悔しかったらお前らも何かに命を懸けてみろ!」
今まで俺に命を懸けるものなどあっただろうか? アランはもう一つ石を投げた。彼の答えは 「Non」だった。

「面白くねえ。」

アランは空の酒瓶をセーヌ川に投げ捨てて呟いた。 

 

A visitor (訪問者)

男は病院の入り口に立つと、急がしそうに動き回る看護婦の一人に声をかけた。
「…患者を捜しているのですが…」
男はごく普通の平民の装いをしていたが、それが偽りの姿だと言う事は一目瞭然だった。手入れの行き届いた爪、みごとに整えられた茶褐色の頭髪、 そして何よりも 上品な物腰が男の高貴な身分を隠せなかった。

「残念ながらマドモアゼル・ジャルジェは此処にはおりません。」
患者の記録を調べた看護婦が答えた。
「もう一度調べて頂けますか? 見事な金髪で,背の高い男装の麗人は稀なはず。」
男は1リーブルコインを看護婦の掌にそっと載せた。
「ああ,その方なら心当たりがあります。こちらへ…」

看護婦は男を中庭に面した,静かな小部屋に案内した。看護婦の控えめなノックに、
「どうぞ。」
と一言だけ言葉が返され、開けた扉の向こうにその人はいた。

窓辺の寝台の上でクッションにもたれ窓の外を眺めていたのは紛れもなくオスカルであった。
「オスカル嬢。」
オスカルはゆっくりと振り向いた。
「…ジェローデルか…」
「私の声を覚えていて下さったのですか?」
「いや…開けても暮れても,私をオスカル嬢と呼ぶのはお前一人だけだ。」
ジェローデルが深々とかぶっていたトリコーネの帽子を脱ぐと心配そうな深緑の瞳がオスカルを見つめていた。
「貴方の事が余りにも心配で,こうして探しに参りました。」
「ならば,目的は達成した。早く帰った方が良い。お前が平民では無い事は,誰にでも解る。」
「私の事よりマドモアゼル、あなたは? お怪我の方はどうなのですか?」
「怪我はしていない。」
「では、何故…?」

暫しの沈黙の後オスカルが 答えた。
「私が此処にいるのは胸の病を患っているから…」
ジェローデルの体が、ぐらりと揺れて思わず壁に両手を押し付け、体を支えた。
「おお,何と言う事だ!」
ジェローデルは寝台の横に跪いてオスカルの手を取った。
「マドモアゼル、お願いです。私と一緒に来て下さい。兄上に頼んで南の領地に屋敷を用意しましょう。私が必ず貴方を治してみせます。」

「何を言っているんだ。お前の近衛隊長としての任務はどうする?」
「この際任務なんてどうでも良い! 貴方を力ずくでも、連れて行きます!。」
ジェローデルがオスカルの腕を掴み引き寄せた。
「は…放せ!」
ジェローデルはオスカルを軽々と抱き上げた。オスカルは、ばたばたと足で蹴って抵抗したがびくともしない。
「さあ,参りましょう。馬車を待たせてあります。」
どんなに抵抗しても逃れられない事が解るとオスカルは初めて深く息を吐くとジェローデルを見上げた。その蒼い瞳には涙が溢れていた。
「お願いだ、ジェローデル。私を下ろして…」
「マドモアゼル?」
初めて見たオスカルの涙に動揺したジェローデルはオスカルを寝台の上にそっと下ろした。

丁度その頃、オスカルの用事で革命本部へ出かけていたアンドレが病院に帰り着いた所だった。
「あら,ムッシュウ・グランディエ。奥様にお客様がいらしていますよ。」
「オスカルに客だって?」
「ええ、見た事無い、上品そうなお方でした。」
アンドレは胸騒ぎを隠せず、病室に向かって走り出した。

アンドレが病室の扉の前に付いた時、中から男の声が聞こえて来た。その声の主は間違いなくジェローデル大佐、一度はオスカルの婚約者だった男。ドアノブに延ばしたアンドレの手が凍り付いた様にその場に釘ずけになった。

「マドモアゼル?」
「お前はいつだったか,私に聞いたな。『アンドレ・グランディエを愛しているのですか?』と…」
ジェローデルは何も答えずオスカルを見つめた。
「今なら、答える事が出来る。私の答えは『Oui』だ。私はアンドレ・グランディエを愛している。この私の命以上に。」
「オスカル嬢…」
「アンドレ無しで生きるよりはアンドレの腕の中で死にたい。それが私の気持ちだ。」
静かに言い切ったオスカルの言葉に迷いは無かった。

重苦しい沈黙を破る様にノックの音がして,アンドレの声が扉の外から聞こえて来た。
「オスカル, 起きているか?」
静かに開いた扉の向こうからアンドレの何食わぬ顔が現れ,ジェローデルの姿を見て驚いた表情を見せた。

「ジェローデル大佐。」
「ああ,見舞いに来てくれたのだ。大佐を馬車まで見送ってもらえるか?」
「ああ、もちろんだ。」

ジェローデルは何も言わずオスカルの手の甲に口づけると病室を出た。二人の男達は無言で馬車止めまで歩いた。馬車止めまで着た時、やっと沈黙を破る様にジェローデルがアンドレに尋ねた。
「オスカル嬢の様態は?」
「健康管理を正しくして,気長に養生すれば必ず治ります。オスカルにもう少し体力が出てきたら、空気の良い所につれていきます。」
「本当にお前にオスカル嬢の世話が出来るのか?」
「はい。この命に替えても。」

「そうか…」
ジェローデルは何も言わず馬車に乗り込み、目を伏せた。


「一途な従僕が無垢の白薔薇を手折ったか…」

吐き捨てる様に呟いた。

****************

アンドレの胸の中でオスカルが囁いた。
「お前、いつから話を聞いていたんだ?」
「いいや、何も聞いていない。丁度帰って来た所だったんだ。」
「嘘をつけ。」

「…オスカル…」
「何だ?」
「ありがとう。俺もお前を愛している。この命以上に。」
「やっぱり聞いていたんじゃないか!」

顔を赤らめたオスカルが枕でアンドレの頭を叩いた。

Déjà vu (デジャヴュ)  (7)

「アンドレ,起きろ。風邪をひいても知らんぞ。」
アンドレが目を開けるとそこには、純白の夜着に共布のガウンを羽織ったオスカルが立っていた。月の光に輝く金髪に縁取られたオスカルの顔は、デリケートなポーセリンの様に美しい。今でも未だこの美の女神が自分の妻で有る事が夢の様だ。
「俺、うたた寝しちゃったのか?」
「ああ、新婚そうそう新妻を独り寝室に残してうたた寝とは弛んでいるぞ。」
「最もだ。俺が悪かった。俺を許してくれるか?」
「…それはお前次第だ…」
オスカルがすまし顔で答えた。
アンドレは何も言わずに微笑んでオスカルを抱き上げると,寝室に続く扉を開けた。その時もう一度振り返って庭園を見回すアンドレに、オスカルが不思議そうに聞いた。
「どうした,アンドレ?」
美しい庭園には薔薇の花がそよ風に揺れているだけで人の気配は無かった。
「いいや,なんでもない。」アンドレが一人呟いた。
「…やはりあれは夢だったのか?」
アンドレは オスカルを抱いたまま、後ろ手で扉を閉めた。

************

ヴィルジニーは新婚のオスカルとアンドレに気を使って、遅い朝食を部屋まで運ばせた。それを寝台の上でつまみながら、ふたりは名残惜しそうに時間をかけて身支度を整える。二人だけで過ごすプライベートな時間はジャルジェ家を出てから殆ど無かった。多分、Vallée de Sérénité の新居に着くまでもう無いと思うと、自然と足並みが鈍ってしまう。二人はやっとの思いで寝室を出ると、ヴィルジニーの客間に向かった。

************

「本当にありがとう。ヴィルジニー。」
「お世話になった二人の為ですもの,当然よ。それにしてもオスカル様,私の無礼をお許し下さいませ。アンドレがあなた様の大事なお方だと解っておれば、あのような事は決して申してはおりませんでした。」
ヴィルジニーは顔を赤らめた。オスカルはアンドレに抱かれて女になりたいと宣言したヴィルジニーを思い出して苦笑した。
「気にするな。お前のお陰で私もアンドレへの気持ちに気がついたんだ。感謝しているよ。」
「ああ、よかった!ずっと気にしていたんですの!」
ヴィルジニーが嬉しそうに答えた。

その時、扉が開いて上品そうなプラチナブロンドの青年が客間に入ってきた。透けるような金髪とは対照的な黒い瞳が知的に笑っている。
「ああ,丁度良かったわ!オスカル様とアンドレ,私の夫です。」
「はじめまして。アンドレ・グランディエです。そしてこちらが妻のオスカル。」
「お二人の事はヴィルジニーからよく聞いております。ご結婚おめでとうございます! 私はソシュール男爵です。」

ヴィルジニーの話から二人の結婚はブルジョワと没落貴族の政略結婚であった事は知っていた。しかし今は二人が愛し合い,慈しみ合っている事は一目瞭然だった。

「それでは私達はそろそろ失礼します。」
仲良い二人に見送られて、オスカルとアンドレは美しく装飾された客間を出た。その時アンドレは廊下の突き当たりに有る宗教画を見て立ち止まった。
「聖エイダン?」
そこには紛れもない,白髪の聖人と白い鹿が並んで描かれていた。
「良くご存知ですね。私の母はアイルランドの生まれなのですよ。聖エイダンは地元の守護聖人だったそうです。私の黒い目は、母譲りなのです。」
「そしてフェルディナンの透けるような髪はお父様似ですね。」
「い…今何て?」
「えっ?」
「今,フェルディナンと?」
「はい、私の名前はフェルディナン・ルイ・ド・ソシュール、最も私の父も同名ですが…」

「一体全体どういう事だ……」
アンドレは混乱と動揺をやっとの思いで隠して馬車に乗りこみ、心配そうに見つめるオスカルを抱き締めた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけさ。少し目を瞑らせてくれ。」

そして心の中で呟いた。
「聖エイダン…貴方は本当に悪戯好きな方だ…」

アンドレは聖エイダンが何処かで、顔をくしゃくしゃにして笑っているような気がした。

Déjà vu (デジャヴュ)   (6)


「あのう…湯浴みの支度が出来ました。奥様、着替えはどう致しますか?」
女中がオスカルに尋ねた。
「それでは 手伝いをお願いしよう。なれないローブだ。脱ぎ方さえ解らん。」
「じゃあ妻を頼みます。」
アンドレはバルコニーの椅子に一人腰を下ろし、女中に導かれて行くオスカルの後ろ姿を見つめていた。しなやかな体を包む絹のローブが細いウェストで縊れ、緩やかな曲線をえがいて揺れている。オスカルは何時でも美しかったが今夜のオスカルの優美さは格別だった。

今までの従僕としてのアンドレはオスカルを見つめる男達の熱い眼差しを見て見ぬ振りせねばならなかった。しかしこれからの夫としての自分はどうなのだろう? 男の欲望の目が自分の妻に注がれると思うだけで嫉妬に気が狂いそうになる。人を愛しすぎる事があり得るのならそれは今の自分だと思った。

***********

そんな止めども無い思いにふけっていると、人の気配を感じて振り返った。 

其処に立っていたのは紛れもない,いつか見た修道僧であった。
「あ…貴方は…聖エイダン様!貴方が何故此処に?」
「やあ、又会いましたね。」
まるで町中で顔見知りにでも出会った様に涼しい顔をしている修道僧にアンドレは言葉が見つからなかった。
「本当によかったですな、貴方の長年の夢がかなって。」
あの日とまったくかわらない白髪の神父が顔をくしゃくしゃに綻ばせて微笑んだ。

「聖エイダン様,私はずっと貴方にお礼をしたかったんです。此処何年もの間,辛い事も沢山有りました。愚かにも私はこの世で最も大切な人の命を奪い,自分も死のうと思った事さえありました。それでも貴方が見せてくれた今日の日の夢が心の何処かで私を元気づけ、支えてくれました。」
「それも、貴方が私のフェルディナンに情けをかけてくれたからですよ。」
「貴方のフェルディナン?」
修道僧の指差す方行に目を向けると、手入れの届いた庭園の中で大きな枝角に覆われた頭を誇り高く掲げた白い牡鹿が佇み、黒い瞳でこちらを見ていた。
「白い鹿!!」
静かに頷くと聖エイダンは庭園に続く階段を下り白い鹿のもとへ歩いて行った。
「ごきげんよう,アンドレ。奥様とお幸せになって下さい。」

それだけ言うと凍り付いたように立ち尽くすアンドレを一人残して白い大鹿と老人は庭園の奥に消えて行った。

Déjà vu (デジャヴュ)   (5)


ジャルジェ将軍とアンドレが大広間に戻ると皆はバルコニーに佇んでいた。二人を見るとそれを待っていたかの様にジャルジェ夫人が言った。
「それでは私達はベルサイユに戻ります。あなた方もお達者で。」
二人に別れの挨拶をしながらジャルジェ夫人が言った。
「私もおいとまします。ベルナールをまたせておりますので…」
オスカルがロザリーの手を取った。
「ありがとう,ロザリー。お前には世話になったな。」
「いいえ,オスカル様。私は何も。バステイーユ後、音信不通だったオスカル様とアンドレを案じて奥様が家へ使いをよこしたのです。その後二人のご結婚の計画をお知りになり、何かなさりたいと…」
「そして奥様から私に連絡が着た時には驚きましたが、私にとって恩人のアンドレとオスカル様の為に役立てたのは光栄です!」
ヴィルジニーも嬉しそうに答えた。
「そして今夜はオスカル様とアンドレは我が家の南棟にお部屋を用意してございます。御気兼ね無くお使い下さいませ。勿論,人払いしてございますのでご遠慮なく…」 
ヴィルジニーが二人に悪戯なウィンクをしてみせた。オスカルがヴィルジニーの言葉が何を意味しているか気づいて顔を赤らめた。

***********

皆が去った後二人はバルコニーに佇み抱擁し合っていた。
月の光だけに照らされてアンドレの腕の中で微笑むオスカルは余りにも美しすぎて何故か涙が止まらない。その涙をオスカルの柔らかな唇が吸い取った。オスカルの薔薇の甘い香りと柔らかな体の暖かさが腕の中に心地よい。もう何年になるのだろう。この腕の中の人を心臓が引き裂かれる程思い、焦がれてきたのを。 二人は熱い口づけを交わした。
「オスカル…愛しているよ」
何度も繰り返し囁きながらオスカルを抱き締める。
「私もだ…アンドレ。愛している…」
幸せに浸りながらもアンドレは又、不思議な既視感を感じていた。十数年前に聖エイダンが見せてくれたのはこの夜の事であったとは,あの日のアンドレには知る術も無かった。
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Missy

Author:Missy
はじめまして!Missy です。日本語はまだまだ未熟ですが,ここはそんな私の妄想で暴走している AO主義のベルばら二次創作サイトです。
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