Déjà vu (デジャヴュ)   (4)

ワルツの音楽が終わるとアンドレはジャルジェ将軍の前に跪いた。
「旦那様、申し訳有りません。私は…」
「アンドレ、立つが良い。私に着いて来なさい。」
オスカルを手で制してその場に残すとジャルジェ将軍はアンドレを大広間に接続している控えの間に導いた。そこにはジャルジェ家の執事ギュスターヴが待っていた。

「アンドレ,座りなさい。おまえが謝る事は無い。」
ジャルジェ将軍がアンドレの肩にそっと手を置いた。
「私達をお許し下さると?」
「ばかものめ!お前以外、あのじゃじゃ馬に添い合わせる事が出来ると思うてか?」
頭を下げたままのアンドレにジャルジェ将軍が溜め息を吐きながら言った。
「あの通り世間知らずで、気性が激しくて,言い出すと聞かない性格だ。お前にもこれまで以上に苦労をかけるぞ。」
「何事にも至らぬ私ですが、私のこの命に代えてもオスカルを守ります。」
「…それは言わずと解っている。ギュスターヴ、書類を…」
ギュスターヴが皮の鞄から幾つかの書類を出しジャルジェ将軍にわたした。それにもう一度目を通すとアンドレに渡した。
「これはお前の賠償金と年金、そして僅かだがあれの持参金だ。お前の名義で連合王国中央銀行に預金してある。」
「こ…こんなに沢山頂く訳にはいきません!」 
「お前の目の事は聞いている。それも主人であったオスカルの責任だ。それに、まとまった資金が動かせるのは今の内だけかもしれぬ。」
アンドレも革命による政治的な混乱と前年の不作の影響でパリの物価が急上昇している事を知っていた。オスカルに余計な苦労をさせない為にもこれだけの資金が有れば心強い。
「解りました。ではお言葉に甘えて頂戴致します。」
「オスカルを頼んだぞ。そして…」
ジャルジェ将軍が、 何かを決意する様に言った。
「私にもしもの事が有れば,妻を頼む。」
「旦那様,そのような事は…」
「私は親王貴族、いわば革命家の宿敵なのだぞ。」
アンドレはもう一度現実の冷たさを自覚した。
「解りました。お任せ下さい。」
ジャルジェ将軍は無言で頷き、立ち上がった。 そして二人はオスカル達の待つ大広間へと戻っていった。

Déjà vu (デジャヴュ)   (3)


「オスカル,本当に綺麗だ。眩しい位だ。」 
メヌエットが終わるとアンドレが深々とお辞儀をしてオスカルの手の甲に口づけした。
「本当にお似合いだこと!」
いつの間にか上品なローブに着替えたジャルジェ夫人がヴィルジニーの隣に佇んでいた。夫人が優しくアンドレの手を取った。
「オスカル、あなたの夫をお借りしますよ。私の大事な息子と次のワルツを踊らせて下さいな。」
「母上?」
悪戯そうに目を輝かせたジャルジェ夫人が微笑んだ。その微笑みはオスカルが何かを企んでいる時と余りに似ていてアンドレは苦笑した。
「その代わり,あなたのダンスが欲しいと言う殿方がおりますのよ。」
夫人の合図で大広間の扉が開き,見慣れたシルエットが現れた。
「父上!」
「旦那さま!」
オスカルとアンドレが同時に叫んだ。其処に立っていたのは礼服に身を包んだジャルジェ将軍であった。凍り付いた様に動けないオスカルの前に 将軍が立ちはだかった。
「オスカル,お前もやはり女であったのだな。」
ジャルジェ夫人が少しだけ眉をひそめて将軍をたしなめる様に言った。
「あなた、そんな言葉ではなく、本当の自分の気持ちを仰ったらいかがです? オスカル,気に留めては行けません。あなたの父はあなたがとても美しいと言いたいのですよ。 親子して照れ屋なのはどうしようも有りませんね。」
いつも冷静沈着な将軍も今度ばかりは勝手が解らない。
「父上私は…」
「何も言うな、オスカル。私は今、お前の父としてここに居る。将軍としてではない。」
「オスカル、あなたの父が結婚話を進めたのは女としての幸せを掴んで欲しかったからです。あなたは自分の道を進みましたが,結果的には父の望み通り、 女としての幸せを掴んだのです。それを喜ばない訳がありません。」
ジャルジェ将軍が深く頷いた。その時緩やかなワルツの音色が大広間に響き渡りジャルジェ夫人に促されたアンドレが踊り出した。それを合図に将軍は優雅にお辞儀をするとオスカルの手を取った。二組の美しい男女は、大理石の床の上を滑る様に舞った。
「お前と踊るのは初めてだったな…」
思い起こせば何時も父の愛情が欲しい一身で、我武者らに駆けてきた。その父の腕の中で踊るオスカルは子供の頃に逆戻りしたような気がする。何故か無性に懐かしくてオスカルの目から涙が溢れた。

Déjà vu (デジャヴュ)   (2)

そこに現れたのはヴィルジニーであった。去年まで行儀見習いとしてジャルジェ家で働いていたその娘は、一時はアンドレに恋心を抱いていた事も有った。今では幸せそうな奥様としてこの屋敷を取り仕切っている様だ。

「まあ, お二人とも なんてお美しい! オスカル様はこちらへどうぞ。ウジェーヌ、アンドレを頼みますね。」
ヴィルジニーは二人の頬に軽く口づけるとウジェーヌと呼ばれた従者に合図した。
そしてオスカルの手を取って長い廊下の奥へ消えて行った。アンドレは従者に導かれて化粧室のついた私室に一人通された。
「お召し替えを...」
ウジェーヌが着替を手伝おうとした。
「いいえ、大丈夫です!自分でやります。」
他の人に着替えを手伝ってもらった事の無いアンドレは困った顔をしているウジェーヌをよそに一人で用意された衣服に着替えた。 アンドレの為に用意されたのは礼服であったが,現在来ている物よりも装飾が多くクラバットを止めるルビーのブローチまで用意されていた。
「せめて御髪を整えさせて頂けますか?」
仕方なく言われるままにした。ウジェーヌが香りの良い髪油を使ってクセを少しずつ延ばして行く。銃創のせいで寝たきりになっていた為か、アンドレの髪は思ったより長い。 綺麗にまとめられた髪に上着と同布のリボンを結びつけると ウジェーヌが満足そうに頷いた。
「これで用意ができました。さあ、こちらへどうぞ。」

ウジェーヌに導かれて大広間に来たアンドレは何とも不思議な既視感を感じた。この屋敷には来た事も無いのに何故か大理石の床も鏡張りの壁も懐かしい。人の気配を感じて見上げると,螺旋階段からオスカルが降りて来る所だった。白絹のローブに包まれたオスカルの姿を見た時、今まで心の奥に大事にしまっていた記憶が蘇る。十数年前に森の中で見たのは夢か幻か。今度こそ本当にオスカルがいる。それも彼を愛する妻としてアンドレに手を差し伸べながら微笑んでいた。あの時の様にメヌエットが流れ二人は踊り出した。ぴったりと息の合った二人が音楽に合わせて動くたびにローブの裾が綻んだ花弁の様に揺れ動く。 アンドレを見つめる蒼い瞳が星の様に輝いてほんの少しだけ紅を付けた唇が朝露に濡れた蕾を思わせる。
 
「今度こそお前の為だけにローブを着て踊りたかったんだ。」

アンドレの胸の中で囁いたオスカルのうなじが恥じらいでピンクに染まった。    


あとがき:このお話は 白い鹿1−4を読んでから読まれた方が解り易いと思います。いつもながら話のタイムラインが前後してすみません。妄想に任せて暴走しておりますので...

Déjà vu (デジャヴュ)   (1)

注:このお話は “Saber Arch  〜光の並木道〜” の直後のお話です。

結婚式も無事終わり皆はパリの宿屋で行われた祝宴に繰り出した。ベルナールの旧友が経営するその宿屋の一階はレストランになっていてその一部を二人の為に提供してくれた。 木製の固い椅子にクッションを置き、そっと腰掛けるアンドレに アランが笑いを噛み殺しながら尋ねた。
「どうだ,未だ痛むか?」
「当たり前だろう!お前ら思いっきりやりやがって!」
「それは、しきたりなのだからしょうがないだろ!」
「何がしきたりだ!俺が花嫁に見えるか!」
衞兵隊達が皆どっと笑い出した。ベルナールが取りなす様に言った。
「まあ、そう膨れっ面をするな。今夜はお前達の門出ではないか。皆,好きなだけ楽しんでくれ。食べ放題,飲み放題だ。」
衞兵隊の間から歓声が揚がった。ただ酒なら底なしに飲める者達ばかりだ。アンドレを一人残して 我れ先にとばかり、酒を注文しに向かった。
「相変わらずけたたましい奴らだな。」
入れ違いにシャンパンのグラスを二つ持ってやって来た オスカルが隣に腰掛けた。
「具合はどうだ?ムッシュウ・グランディエ?」
オスカルの顔を見た途端にアンドレの顔が綻む。二人はシャンパンで乾杯した。 
「最高だよ,マダム・グランディエ。俺は世界で一番幸せな男だ!それより奥様はもうお帰りになったのか?」
「それが今さっきまで珍しそうにレストランのメニューについて店主にいろいろと聞いていたのが、ロザリーと二人で何処かへ行った様だ。母上の事だ,さよならを言わずに帰る事は無いだろうが…」
その時ベルナールが二人に囁いた。
「さあ,用意はできたか? 馬車が待っている。なに,奴らの事は気にするな。この店に酒が有る限り、お前達が居なくなっても気がつかないさ。」
二人は顔を見合わせたがベルナールに急かされて辻馬車に乗り込んだ。
「おい,ベルナール。一体何処へ行くつもりだ?」
「すぐに解る。悪い様にはせん。奥様もお待ちだ。」
「母上も?』
ベルナールは何も応えなかった。ただ意味ありげに微笑むと御者に合図をした。辻馬車はゆっくりと走り出した。

********

辻馬車はパリの夜道を駆け抜け、バロック建築の壮大な屋敷へ通じる門の中へ入って行った。手入れの行き届いた庭園を通り抜けて,馬車が止まるとみごとな彫刻の施された大きな扉が開いて何人かの使用人が二人を迎えてくれた。そしてその奥から聞き覚えの有る声がした。
「いらっしゃいませ,オスカル様とアンドレ。お待ちしておりました。」

A Knight in Shining Armor  (輝く鎧の騎士)

黒い髪の少年と黄金色の髪の少女は書斎の暖炉の前に腹這いになり1冊の本を夢中で読んでいた。『輝く鎧の騎士』と言う題名の英語の本は英語を習い出したばかりの二人には少し難しかったけれど,沢山の綺麗な挿絵が勇敢で礼儀正しい中世の騎士達の冒険を物語っていた。厚い絨毯の上で頭をくっつける様にして馬上の騎士の絵に見入る二人は溜め息を吐いた。
「なんて素晴らしいんだろう。騎士はとても強くて悪い奴らを懲らしめ,弱い者を助けるんだ。」 
「オスカル,君はきっと騎士になれるよ。剣だって銃だってとっても上手だし。」 
オスカルは突然悲しそうな顔をした。 女性の証が始まり、柔らかく変化し始めた体をコルセットに包む様になったオスカルは自分が女である事を認めない訳にはいかなかった。
「僕は騎士にはなれない。」 
必死で涙をこらえて唇を噛み締めるオスカルを見るとアンドレまで悲しくなってしまう。何も言わずにオスカルの手を取り握りしめた。
「僕が騎士になれないのなら…」 
オスカルがアンドレの黒い瞳をじっと見つめて言った。 
「お前が私の騎士なら良いのに…」
アンドレが驚いて息をのんだ。それでも心を決めた様に オスカルに答えた。
「うん、僕、オスカルの騎士になるよ。うんとがんばって剣も馬も銃も上手くなるから…」 
「約束だ。」 
二人の明るい笑い声が静かな書斎に響いた。

*******

— 7.13.1789 朝 —

昨夜初めて結ばれ、全てを与え合った二人。オスカルはアンドレの胸に抱かれてひとときの幸せを噛み締めていた。窓の外が少しだけ色を帯びて来た。皆が起きる前にアンドレは自分の部屋に戻らなければいけない。二人だけの時間が名残惜しくてオスカルの目から一筋の涙が溢れ頬を伝った。
「愛している…よ。」
オスカルの涙を拭いながら囁いたアンドレの目頭も濡れていた。 オスカルはあわてて笑ってみせた。
「そうだ、お前に見せたい者が有る。」
オスカルが寝台の脇のテーブルにあった一冊の本を取りアンドレにわたした。 
「これは…」
「覚えているか?いつか二人で読んだ 『輝く鎧の騎士』さ。身の回りの物を処理していたら見つけたんだ。」
アンドレが昨日した様にオスカルもやはりこの屋敷には二度と戻らぬ覚悟をしていたのだ。 心の通じた二人に言葉はいらない。 古い革表紙の本を開くと美しい馬上の騎士が昔と同じ様に剣をかざして其処に居た。思い出が走馬灯の様に頭の中を駆け抜ける。 アンドレが寂しげに笑った。 
「ごめんよ,オスカル。とうとう約束を果たせなかったな。」 
「何を言うんだ?」 
「俺、約束しただろ?お前の騎士になるって。結局だめだった。剣も銃もたいした腕にはならなかった。」
オスカルは愛情あふれた微笑みで彼を見つめ本をぱらぱらと捲った。
「そうだな,あの頃の私達は未だ英語が達者では無かった。肝心な所を読み損ねていたんだ。昨日この本を見つけた時余りに懐かしくてもう一度読んでしまった。アンドレ、ここを、声を出して読んでみろ。」
アンドレはオスカルの指差すページを読んで驚きに目を見張った。 
「…騎士(knight)と言う言葉の語源は古英語の『従僕』を意味する 『cniht』 に由来する…」 
「解るか,アンドレ?騎士というのは自分をかえりみずただひたすら尽くす事の出来る者の事なのだ。私が今日までやって来られたのはお前が私の事だけを考えて行動してくれたから。だからお前は間違いなく私の騎士だ。」
二人はもう一度強く抱き合って口づけを交わした。その時二人の耳に一番鳥の歌が聞こえた。
「俺もう行くよ。お前はもう少し休め。」 
素早く身支度を整えて去り行くアンドレにオスカルが言った。
「良いな,お前は私の騎士だ。私の手の届かない所へは決していくな。」
アンドレがしっ かりと頷いた。
「きっとだぞ!」
扉を閉めて出て行った彼の言葉が余韻を残し、いつまでもオスカルの心に響いていた。

「ああ,俺はお前の騎士だ。この命続く限り…」

白い鹿  (4)

暫くするとオスカルが戻って来た。
「 どうだ?めぼしい獲物を見つけたか?」
アンドレは何も言わずただ首を横に振った。森の主の事はどうしてもオスカルには上手く説明する自信が無かったから。オスカルが馬から下りるのとほぼ同時に大粒の雨が降り出した。
「 オスカル,このすぐ先に教会がある。ひとまず其処で雨を凌ごう。」 
二人は馬に飛び乗って丘を下った。

*******

森が開けた所にその小さな教会が有った。白い石作りの教会は小さいながらいくつもの細長いステンドグラスが聖堂の両側に並んでいた。二人が中に入って行くと小太りで血色の良い神父様が二人を出迎えてくれた。 
「 雨に打たれましたな。丁度お茶にしようと思っていた所です。ご一緒にいかがですか?濡れた上着も乾かしましょう。」
「 はい、それでは遠慮なく頂きます。」
オスカルは喜んで神父様の後に付いていく。その後ろでアンドレが尋ねた。
「 あのう…もう一人の神父様はいらっしゃいますか?」 
「 もう一人の神父、ですか?」 
神父様が立ち止まってアンドレを不思議そうに見つめた。
「 はい、白くて長い髪のアイルランドでお生まれになった方で名前はエイダンと申されておりました。」 
「 何かの間違いでしょう。この小さな教会には私一人しかおりません。もう20年もここに居ますが神父は私一人です。」 
アンドレは訳が解らなくなった。あの修道僧も白い鹿もオスカルとの口づけの様に全て夢だったのだろうか。その時アンドレは聖堂のステンドグラスの一つに見入ったままその場に凍り付いた。 
「 こ…このステンドグラスは…?」
神父様はアンドレの指差すステンドグラスを見て笑い出した。
「 ああ,あなたが冗談のお好きな方だとは思いませんでした。あなたの仰る通りこれは聖エイダンです。」 
そのステンドグラスには白い鹿と佇む白髪の修道僧が描かれていた。震える声でアンドレが尋ねた。
「 聖エイダンと白い鹿の関わりと言うのは?」 
「 聖エイダンはある日狩人に追われていた美しい白い鹿を助ける為に神に祈ったそうです。神はその祈りを聞いて白い鹿を透明にして狩人から守ったと言われています。だから聖エイダンは白い鹿と描かれる様に成りました。」 アンドレは恐る恐る聞いてみた。
「 もしかすると聖エイダンはアイルランドのアイオナ島の出身ですか?」 
「 良くご存知ですね。」 
アンドレは一人呟いた。あれは全て夢だ。そうだ、きっと子供の頃に読んだ聖人の本に聖エイダンの事が書いてあったのだろう。それを記憶の何処かでおぼえていたのに違いない。そう思うと大分気が楽になってきた。 しかしオスカルがアンドレの顔をしげしげと見つめて尋ねた。
「 おまえ私が居ない間何をしていた?おまえも隅に置けないな。」 
「 どういうことだ?」 
「 おまえの頭に大きなたんこぶが有る。そして…」
オスカルがアンドレの口元にそっと指で触れた。そしてその指を見つめていった。
「 やっぱりそうだ。おまえの口元に口紅がついていたぞ!」
アンドレは驚きに大きく目を見開いた。オスカルが得意になって差し出した指先にはうっすらとだが確かに口紅が付いていた。それは間違いなく口づけたオスカルの口紅の色と同じ色だった………




………そして聖エイダンの言葉通りにアンドレの夢が叶ったのはそれから十数年先の事であった………



あとがき:This story is for my son, Aidan Joseph, who’s named after St. Aidan.

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白い鹿  (3)

気がつくとそこは大理石の大広間だった。
「ここは一体何処だ?」
あたりを見回したアンドレが鏡張りの壁に映った自分の姿を見て息を飲んだ。そこには貴族の貴公子の様に美しい礼服に身を包んだ自分がいた。きちんと整えられた長い黒髪は青い絹のリボンで束ねられ、同じ色の豪華なベルベットの上着は金の刺繍で縁取られていた。ルビーのブローチで留められているバッテンバーグレースのクラバットは金色のゴブラン織のジレの上にふんわりと揺れている。すると何処からかゆったりとしたメヌエットが流れてきて螺旋階段の上に人影が現れた。
「オスカル?」
ゆっくりと階段を下りて来たのは恋して止まないオスカルであった。金色の髪を緩やかに結い上げ純白の絹に真珠がちりばめられた美しいローブに身を包んだオスカルは優しく微笑みながら階段を下りてくる。思わず差し伸べた手に彼女はか細い手を預けると何も言わずに二人は踊り出した。滑る様に優雅に舞う二人はいつの間にかバルコニーに立っていた。火照った体に夜風が心地よい。月の光だけに照らされてアンドレの腕の中で微笑む最愛の人は余りにも美しすぎて何故か涙が止まらない。その涙をオスカルの柔らかな唇が吸い取った。いつもの薔薇の甘い香りが間違いなくこの腕の中にあった。とうとう我慢出来ずにその唇を吸い、舌を絡めるとオスカルもそれに応えてくれた。
「オスカル…愛しているよ」
何度も繰り返し囁きながらか細い体を抱き締める。
「私もだ…アンドレ。愛している…」
その声は間違いなくオスカルの声だった…

************

アンドレは肩を揺すぶられて目を覚ました。エイダンが申し訳なさそうに言った。
「余り良く眠っていらしたので起こしたくは無かったのですが雨が降りそうなので私はもう教会に戻ります。あなたは連れの方を待たれるのですか?」 
アンドレが頷くと
「それでは私は参りますが,教会はすぐそこなのでお連れの方がいらしたらお寄り下さい。何か暖かい物でも用意しましょう。」
アンドレは礼を言って頭を下げた。すると言い忘れていた様にエイダンが尋ねた。 
「何か素晴らしい夢でも見ていらしたのですか?あなたの顔がとても幸せそうでした。」 
アンドレが悲しげに応えた。
「確かに素晴らしい夢でした。でも所詮夢です。叶う事は無いでしょう。」
むしろ夢から覚めた後がなおさら辛いだけだと思った。
「そのような事は有りません。あなたの夢は必ず叶います。今は辛抱強く待つ事です。」
エイダンが余りにも自信に満ちた口調だったのでアンドレは驚いたがもう一度礼を言ってエイダンが歩き去るのを見送っていた。気のせいだろうか?その時乾いた唇を舐めるとほのかにオスカルの香りがしたようだった。

白い鹿  (2)

「オスカル、ここで待っていてくれないか?俺がコルビュジエ伯を屋敷まで送り届けてくる。」 
オスカルが首を振った。
「私が行こう。おまえとコルビュジエ伯を乗せたのでは馬が可哀想だ。」 
確かにそれはそうだ。コルビュジエ伯もアンドレも極めて体格が良い。アンドレは足を痛めたコルビュジエ伯とオスカルが馬で走り去るのを木の根にもたれかけて見送っていた。

*********

どのくらい経ったのだろうか。アンドレは小枝の折れる音で我に帰った。その音は密集した木の間から聞こえてくる。肩に背負った猟銃を握りしめて枝を掻き分けると何か白い物が目に入った。良く目を凝らしてみるとそれは白い鹿だ。
「も…森の主!」 
よく見ると白い鹿の巨大な角が木の幹に引っかかっていて,鹿がもがけばもがくほど動きが取れなくなっていく。ここからの距離なら子供にでも鹿を射止める事が出来るだろう。アンドレが銃を構えると鹿はもがくのを止めて 黒い瞳で真っ直ぐにアンドレを見つめ返した。その威厳ある姿を見ているとアンドレはどうしても引き金を引く事ができなかった。そして深い溜め息を吐くと鹿の方へ歩いて行った。 
「それにしてもおまえ見事に引っかかった物だな。」 
短剣をさやから外して木の枝を切り落としながらアンドレが鹿に話しかける様に言った。すると 
「いや、まったくですね。」 
と言葉が返って来た。アンドレが驚いて頭を上げると嫌と言う程木の幹で頭を打ち付けてしまった。 
「だ…だいじょうぶですか?驚かせてすみません!」  
アンドレが頭をさすりながら振り向くと白い髪の修道僧らしい男が立っていた。 
「あ…あなたは?」  
「私はこの先にある教会で厄介になっている者でエイダンと申します。」  
「失礼致しました,神父様。私はアンドレです。狩りの仲間を待っているところです。」  
エイダンは微笑んでいった。 
「ほう,貴方は狩りでここに来たと言うのにこの見事な獲物をしとめようとせず,代わりに逃がそうとしているのですか?」 
アンドレは恥ずかしそうに言った。
「はい。この鹿が余り見事で美しいものですから…どうしてもその命を奪う事が出来ませんでした。」  
「さようですか。では,お手伝いしましょう。」 
二人掛かりで枝を切り落としていくとやっと鹿の巨大な枝角が自由になった。鹿はまるで礼を言うかの様にもう一度アンドレを見つめると走り去り森の中に消えて行った。エイダンとアンドレはそれを満足げに見守った。 そして二人はアンドレの馬がつながれている木の根元に腰を下ろして暫く話した。
「神父様は何処のお生まれですか?」  
「私はアイルランドのアイオナ島で産まれました。」  
「やはりアイルランドの方でしたか!」 
「私の国の訛りはかくせませんな。」 
「いいえ,貴方の名前からそう思っただけです。」  
「お気使いなさりますな。どうも私はフランス語の発音がうまく出来ないのですよ!」 
エイダンは大きな声で快く笑った。
「年寄りのでしゃばりを許して下さい。実はあの鹿を見つめていた貴方の目がとても辛そうだったのでどうしても声をかけてしまったのです。」 
「神父様にはお見通しですね。実はあの鹿が自分の様に思えて…」  
なぜ見知らぬ修道僧にこの様な事を喋っているのか自分でも解らなかった。しかしアンドレは身分違いの恋に苦しみながらも諦める事は出来ずかといってオスカルのもとを去る事も出来ない自分がまるで身動きのできない鹿の様に思えた事を話した。

白い鹿  (1)

「義兄上、今日は狩りのお招きを有り難うございます。」 
「おお。オスカル。近衛隊はどうだね。私の義妹が麗しき近衛隊長だと言う事は私の自慢の種でね。」 
オスカルの一つ上の姉、ジョセフィーヌの夫、サヴィニャック伯はおっとりとして静かな物腰の好感の持てる男だった。
「やあアンドレ,久しぶりだね。どうだい, 君も一緒に来ないかい?私の従兄弟が風邪をひいて一人足りないんだ。」
「いいえ私のような者には…」 
「あら,良いじゃないの,アンドレ。貴方なら乗馬だって射撃だって一通りこなせるし。」
ジョセフィーヌが口を挟んだ。オスカルも 
「そうだ、アンドレ。屋敷に残っていても姉上の退屈なお茶の相手をさせられるだけだぞ!」 
「まあ失礼な!」 
皆が明るく笑った。 
「じゃあ決まった。君はオスカルとコルビュジエ伯と組んでくれたまえ。」 
「はい…」 
狩りの大好きなコルビュジエ伯が二人に軽く会釈すると大分張り切り気味に言った。 
「今年こそはこの森の主と言われる白い雄鹿を射止めてみせるぞ!」 
「白い雄鹿ですか?めずらしいですね。」
アンドレが尋ねた。 
「ああ,巨大な枝角を持つ鹿で私も遠乗りの途中に見た事が有る。なかなか賢くて猟銃を持つ者は近寄らせないのだよ。」 
コルビュジエ伯を先頭に3人は馬を駆って森の中を進んで行った。アンドレの目の前を行くオスカルの黄金色の髪が秋の風に翻る。その美しい輝きがアンドレの目にしみた。 何時頃だったのだろうか。美しい幼なじみに友情以上の気持ちを抱いている事に気がついたのは。身分違いのその恋は叶うはずもなく、現にオスカルは北欧の貴公子への恋心で悩んでいる事も解っていた。それでも近くして限りなく遠いオスカルへの思いを断ち切る事は出来なかった。
「いいんだ…俺はあいつを見つめている事さえできれば…」 
アンドレは自分の気持ちを振り切る様に一人呟いた。その時だ。コルビュジエ伯の馬が切り株につまずいて轟音と共に倒れた。
「うわっ!」
馬から放り投げられたコルビュジエ伯は思いっきり地面に叩き付けられた。 足を挫いたのか足首を押さえながらエドゥアール・ド・コルビュジエが叫んだ。 
「ソレイユは…私の馬は…?」 
ソレイユの前足は無惨に折れ曲がり馬の苦しそうな息だけが静かな森の中に響き渡った。 オスカルが悲しげに首を振った。
「足の骨が折れています。大分苦しんでいるようです。」 
皆無言ではあったが、次にするべき事は解っていた。 オスカルはピストルをホルスターから外して苦しそうに喘ぐ馬の頭に当てた。オスカルの蒼い瞳から涙がこぼれる。 
「オスカル、ピストルを貸せ。俺がやる。」
アンドレがオスカルの肩に優しく手を置いた。
「いや,私がやります。ソレイユは私の馬です。こいつが産まれたその日から私の馬でした。」 
オスカルは素早く涙を拭くとコルビュジエ伯の為に馬から離れた。コルビュジエ伯は暫く馬の頭を撫でながら話しかけていたが一発の銃声が森の中にこだました。そして自分達よりも一回り年上のコルビュジエ伯が馬の亡骸の隣に座って静かに涙するのを離れた距離から見ていた。 
「ちょっとおまえの胸を貸してくれ。」
オスカルはアンドレの胸に顔を埋めると静かに泣いた。オスカルを優しく抱き締めて背中を擦りながらアンドレは自分の気持ちと戦っていた。腕の中の甘い香りが愛しくて…その桜色の唇を自分の唇で押し包みたくて。それでもできなかった。これだけ近くてもその人の心に自分がいないのが解っていたから… 

Blind Fold (目隠し)  (4) (おまけ)

腕を組んで歩く二人は Vallée de Sérénité で只一つの酒場へ足を踏み入れた。
「 ベルサイユの夏と違ってこの土地の夏は凌ぎ易いな。8月だとは思えん。」 
「 ああ,湿気が少ないし海からの風が心地いい。胸の病の治療には一番条件が良いそうだ。俺がこの地を選んだ理由の一つさ。」
その夜の二人はいつも以上に機嫌が良かった。その日オスカルの掛かり付けの医者が妊娠を確認し胸の病もこのまま向上していけば出産に問題は無いと太鼓判を押してくれた。二人で丸い木のテーブルを挟んで座りシャンパンで乾杯した。 
「 一杯だけだぞ。赤ん坊がマリネになってしまったら大変だ!」
二人は笑いながらオスカルに宿った小さな生命を神に感謝した。

幸せでいっぱいの二人は少し離れたテーブルで酒を飲んでいた目つきの悪い4人の男達に気づかなかった。昼過ぎから酒を飲んでいた男達は長身で美しい二人が店に入って来たときから見事な金髪の女に見とれていた。そして暫く見つめている内に黒髪の男が盲目である事に気がついた。 
「 それにしても良い女だぜ。」 
「 まったく、めくらにあの女はもったいねえ。」 
そう言ったかと思うと、男達が立ち上がって二人のテーブルを囲んだ。 その内の一人が両手をテーブルに置きオスカルにかがみ込む様にして話しかけて来た。
「 マドモアゼル、どうだい、俺たちのテーブルに来ないかい?」 
酒臭い息がオスカルの鼻を突く。
「 悪いがお断りする。」
ベルサイユでは氷の華と謳われたオスカルの刺すような瞳も酔っぱらいの前では効果が無い。昔のオスカルなら売られた喧嘩は買う主義だったが、女装でしかも身重となった今は喧嘩をするわけにはいかない。それにこれ以上アンドレを傷つけるわけにはいかなかった。オスカルを守る為には喜んで楯になるのが解っていたから。男達が様々に口走った。
「 へん、可愛げのねえ女だ。」 
「 何もめくらの男なんて相手にしなくても。」
「 そうだ、俺たちが本当の男ってもんを教えてやろうっていうのによ〜!」 
それまで拳を握りしめて我慢していたアンドレが怒りを堪えきれずに立ち上がろうとしたがそれより一足先にオスカルがアンドレの膝の上に向き合う様に座った。 
「 オスカル?なにを…」 
言葉を待たずオスカルはアンドレに口づけると貪る様にアンドレの唇を吸い舌を絡めた。
「 この男を知った今はもう他の男では満足できん。」
余りに情熱的で大胆な二人の愛撫に酒場が静まり返り,男達もあっけにとられて只佇んでいた。 その内に酔いが醒めたのか気が抜けた様に自分達のテーブルにおとなしく戻っていった。 オスカルはアンドレの膝の上に座ったままシャンパンを飲み干すと半分残っていたアンドレのシャンパンもついでに飲み干した。それを合図にアンドレがオスカルの腰に腕を回して立たせると自分も立ち上がった。二人が無言で酒場を出た時二人を見つめている者はもう居なかった。

*******

「 それにしても大胆なまねをしたな」 
「 もう言うな。実は恥ずかしくて足が震えていた。」 
「 知っていたよ。おまえが必死で俺の名誉を守ってくれたのも。ありがとうオスカル。」 
「 私が助っ人に入る訳には行かないし,私が買った喧嘩におまえを巻き込むにも4対1では分が悪い。」 
二人は抱き合う様にして笑いながら馬車までの道を歩いた。 
「 …もう他の男では満足できん、か?まるで知ったような口のききかただな…」 
「 言葉のあやだ。あのくらい言っておけば私にちょっかいを出す者はもう居るまい。」
アンドレが可笑しそうに囁いた。 
「 他の男なんて知らないくせに…」
「 他の男なんて知りたいとも思わん。もうこれ以上言うな!」
オスカルの口調が少し拗ねてきた。 
「 それが聞きたかっただけさ。ごめんよ、からかって。」 
「 馬鹿!」 
二人は暫く無言で歩いた。

「 アンドレ。」 
「 ん?」
オスカルの真剣そうな声にアンドレが立ち止まり二人は向き合った。 
「 この赤んぼうだが…」
「 ああ?」
黒い瞳が心配そうに オスカルの方をみつめている。 

「 あの 『クラバットの夜 』 に授かったんじゃないかなと思って。」
それだけ言うとオスカルは恥ずかしそうに下を向いて歩き出した。アンドレは慌ててオスカルの後を追って歩き出した… 

Blind Fold (目隠し)  (3)

注:性描写あり!!  

厚いカーテンの引かれた部屋は暗くて静かだった。 揺らめく蝋燭の光が寝台を照らしている。 アンドレはオスカルをうつ伏せに寝かすと体を覆っていたタオルを取り去った。咄嗟にシーツで体を隠そうとするオスカルの手を止めて可笑しそうに笑った。 
「大丈夫だよ。恥ずかしがり屋の奥様!」
そしてふわりとクラバットが顔に掛りそれで目隠しされてしまった。
「オスカル、ゆっくりと呼吸して 。」
オスカルの体に香油を塗るアンドレの手がゆっくりと 緊張を揉みほぐしていく。
「いいかい、頭の中を空にして集中してごらん。」
オスカルは言われた通りにアンドレの暖かい掌の動きに神経を集中した。時には早く,時には軽く,アンドレの指がオスカルの体の上で羽ばたいた。
「おまえの指の動きにはヴォルフガング・モーツァルトさえも羨むぞ。」
オスカルのしなやかな体からやっと緊張が抜けた頃アンドレが囁いた。 
「よし,それではゲームをはじめよう。」 
「ゲーム?」 
「そうさ、俺が何を持っているのかあててごらん。」 
そう言うとアンドレが何かとても柔らかくてくすぐったい物で膝の裏を触った。 
「そんなの無理だ…」 
「良いから神経を集中して。」 
柔らかで心地よい感触がゆっくりと足から背中へと昇ってくる。 その時オスカルの記憶の何処かで軍服のトリコーネの羽飾りを思い出した。
「解った!鳥の羽だ!」
「当たり!じゃこれは?」 
アンドレがオスカルを仰向けに寝かせてひんやりと冷たい物を胸元に当てた。 
「つ…冷たい!氷か?」 
「そうさ。これはちょっと簡単すぎたかな?」
氷がゆっくりと描く輪がだんだん小さくなりオスカルの胸の頂点をくすぐった。ピンク色の真珠が堅さを帯びたのは氷の冷たさだろうか、それとも呼び起こされた熱情? とうとう我慢しきれずにオスカルが悩ましい程深い溜め息を吐いた。
「ごめんよ,冷たかったかい?今暖かくしてあげるよ。」 
アンドレが用意してあった熱いミントティーを口に含んだ。それはアンドレが普段飲むミントティーと比べてミントが大分強かったが、それは彼が飲む為に用意したものではなかった。オスカルはミントティーで十分潤った口の中の暖かさにほっとした。アンドレは少し名残惜しそうに口を離してそっと息を吹きかけた。十分にミントエキスを含んだそこは息を吹きかけられただけで冷感が走った。 メントールのほのかな香りに
「これはミントか?」   
「そのとおりさ。おまえの嗅覚もなかなか鋭いな。」
ミントティーを含みながらアンドレのとろけるような口づけが少しずつ下腹部を降りてきて体の芯まで熱くする。アンドレの舌が最も敏感な場所を探り当てた時オスカルの神経が全てそこに集中されていった。そっと吹きかけられた吐息にメントールの刺激が甘い衝撃を引き起こしてやまない。オスカルが官能の絶頂の中で聞いた呻き声が自分の喉の奥から出たのだと言う事も気づかなかった。 快楽の中で身動きもできないオスカルにアンドレが
「大丈夫かい?まだまだこれからだよ…」
と囁いて彼女の体の中に深く身を沈めた。

******

それからどのくらいたっただろうか。ようやくクラバットを外された時にはオスカルは快い疲労と消耗でぐったりとアンドレの胸に抱かれていた。
「おまえの言う通りだ。本当に不思議な程感覚が鋭かった。」 
「俺の感覚はおまえの倍以上だと思え。解っただろう?おまえを愛する度におれはこの世の天国を経験できるんだよ。」
アンドレのやさしい口づけがオスカルの 頬に暖かい。
「だからもう他人の言葉を気にしないで。おまえの悲しみが俺に取って何よりも辛いんだ。」
「…解った。」
オスカルがアンドレに口づけを返した。
「今度何か有ったら今夜の事を思い出すぞ。私の顔には淫らな微笑みが浮かぶだろうな…」
二人は声を出して笑った。

Blind Fold (目隠し)  (2) 

オスカルは屋敷に着くのが待ちきれない自分がちょっぴり恥ずかしかった。まるで降誕祭前夜の子供の様に期待と好奇心で一杯だ。

アンドレは一体何を考えているんだ? 屋敷に着くとアンドレはくるくると動き回って忙しそうに働いていた。
「オスカル、湯浴みの支度が出来たぞ。」 
「湯浴み?」 
「ああ,夜風が冷たかっただろ? ゆっくりと体を温めておいで。」 
オスカルは素直に浴室に向かった。こういう時のアンドレは何を聞いても無駄だ。自分だけが知っている秘密が嬉しくてたまらない様に悪戯な微笑みを浮かべている。 今夜の湯には胸の病に効くというラベンダーとローズマリーの香りがする。オスカルが浴槽に浸かると爽やかな香りの湯気が広がる。それを胸一杯に吸い込むと体中の緊張が溶けて流れ出て行く様だ。ゆっくりと湯に浸かりながらこれから何が待ち受けているのかと考えていた。 すると静かに浴室の扉が開きアンドレが入って来た。
「俺も良いか?」 
一糸纏わぬ姿で佇む彼はギリシャ神話から抜け出したアポロンの様に美しい。思わず吐いてしまった溜め息を耳の良いアンドレは聞き逃してはいなかった。そうこうしているうちにオスカルの体を軽く持ち上げるとアンドレが浴槽とオスカルの間に体を滑り込ませた。あっという間にアンドレの膝の上に抱きかかえられていたオスカルの背中に引き締まった筋肉の感触が伝わってくる。オスカルの心臓がどくんどくんと高鳴って湯船に波紋を作るのではないかとふと思った。

アンドレは石鹸を掌で泡立てオスカルの体を優しく洗った。暖かく力強い掌が体中を愛撫する様に滑らかに走る。オスカルの呼吸が心持ち早くなって来た。アンドレの体も愛する人の存在を意識して自己主張し始めた。 
「オッと…もうこれ以上は無理だ!」 
アンドレは少し後ろめたそうに微笑むと浴槽から立ち上がった。一人残されたオスカルは突然寂しくなって自分も立ち上がった。アンドレが柔らかいタオルでオスカルを包むと自分の事はおかまいなく丁寧にオスカルの体を拭いて行く。
「もう用意はできているよ。」
そして寝室の扉を開いた。

Blind Fold (目隠し)  (1)

「あっ、肩掛けを忘れた。ちょっとここで待っていてくれるか?すぐ戻ってくる。」
オスカルはアンドレを屋外カフェの椅子に座らせると近くに止めてある馬車の方に歩いて行った。薄手のブラウスに海から吹く五月の夕風はオスカルには少し肌寒い。二人が Vallée de Sérénité に住む様になりもう7か月になる。一月程前にとうとう視力を無くしたアンドレに心配をかけない為にもオスカルは今までに無く自分の健康に気をつけていた。 

肩掛けを持って戻って来るとオレンジの沢山入った籠を持った農民の子供たちがアンドレに話しかけていた。 「おじさん、取りたての果物はいかが?」
アンドレが尋ねた。
「ほう?何があるんだい?」
子供達が不思議そうな顔をしたが年上らしい子がやっとアンドレが盲目である事に気づいたらしく
「この人めくらだ。いこうぜ!」
と言い捨てて年下の男の子の袖を引っ張って走り去った。アンドレは何も言わなかった。 オスカルの気配を感じたアンドレが言った。
「良いんだ、オスカル。何も言うな。」 
「でも…あんな無作法な…」 
「まったくだ、この良い男をつかまえておじさんだなんて。俺はまだまだお兄さんだぞ。」
アンドレがオスカルの為に一生懸命に陽気に振る舞っている事が痛々しかった。 オスカルの目頭が熱くなり涙が込み上げてくる。オスカルの気持ちを察したアンドレが優しく手を握りしめた。
「オスカル,そんなに悲しまないで…視力を失うのも悪い事ばかりじゃないんだよ。」 
「えっ?どうゆう事だ?」 
「だから…おまえは俺の聴覚が良くなったのは知っているだろう?」 
「ああ。」 
「良くなったのはそれだけじゃないのさ。」 
「それって…味覚とか臭覚とか?」 
「俺の味覚はジャルジェ家の一流の料理人のおかげで発達していたし鼻も昔から良かった。」 
「とすると残るは触覚?」 
アンドレが取って置きの低く優しい声でオスカルの耳に囁いた。 
「未だ解らないのかい?」 
いつもはベッドの中で囁かれるその声を聞いただけでオスカルの体の芯で何かが疼くようだ。 
「今夜教えてあげるよ。いいな?」
アンドレが悪戯っぽく言った。

*******

せっかくのカフェの夕食も上の空で食べたオスカルは珍しくワインまでこぼしてしまった。先ほどのアンドレの言葉に頭が一杯な様だ。帰りの馬車でもオスカルは出来るだけ平然を装おっていたがそうでない事はアンドレには解っていた。二人が愛し合うたびに太陽の光を一身に受けて開いて行くつぼみの様にオスカルの体はアンドレによって開拓されて行く。今さっきの愛する男の言葉に体の奥に秘められていた情熱が呼び起こされる様だ。オスカルは体中が熱を帯びるのを感じ肩掛けを外した。

本当の理由は…  (アンドレの独り言)

ロザリーは本当に良い娘なのだが…どうも抜けている所が有る… ロザリーの喋りまくった余計な情報のおかげで散々な目にあってしまった。オスカルが手当をしてくれた背中の傷が疼く。それでも俺は幸せだ。オスカルが俺の事であんなに嫉妬してくれるなんて!それだけこんな俺の事を愛してくれているってことだ。数年、いいや数ヶ月前の俺にはまるで考えられなかった。嫉妬していたのはいつも俺。オスカルが恋心を一心に向けたフェルゼン、地位と身分故にオスカルに求婚できたジェローデル…でもそれはもう過去の事。俺だけが許された愛しき女神の全て。あの出動前夜,死をも覚悟してオスカルと結ばれたのは俺だ。夜のとばりの中で無垢の体からベールの覆いを取り去ったのは間違いなくこの手。あの夜の事を考えただけで俺の心臓は掻き乱される。オスカル,おまえの全てが愛しくて。この心が,この体がおまえを欲しいと叫んでいる。女のおまえにはそんな事は解らないだろうけど… 

俺は熱い程の視線を感じてオスカルの方を向いた。オスカルが俺を見つめている、と言うより俺の体を見つめていると言ったほうが良いだろう。オスカルは俺が視ている事にまるで気づいていないのだから。オスカルの目尻は少し赤みを帯びて…あいつの洩らした溜め息がやけに艶っぽい… その時俺は感じた。オスカルもあの夜の事を考えているんだ! そう思うともう体が勝手に動いてしまう。オスカルの寝台に腰掛けて抱きすくめる体は余りにも懐かしくてただ 
「愛しているよ」
と何回も耳に囁く。オスカルはやっと我に帰ったらしく 
「何をする!ここは病院だぞ!」 
と一言言ったけどそれは本気じゃ無い。その時オスカルの両腕は俺の背中に回り俺を強く抱き締めたから。俺は部屋に鍵をかけたとかなんとか口走って、(病室に鍵なんかあったっけ?)そのままオスカルを抱いた。2週間前のオスカルの寝室の時の様にロマンチックで優しいラブ・メーキングではなかったけどこういう風に激しくて衝動的なのも燃えるし,オスカルの性格的には似合ってるんじゃないか?なんて勝手に思った。初めての時の様に怖く無かったから (でもあれは最高にかわいかった〜ぁ!)オスカルももっともっと俺に応えてくれて…

その後俺はオスカルを抱いたままピロートークしたけど何を喋ったか覚えてない。激しい営みの後の男って脳みそが麻痺状態なのかもしれないなぁ。
 

本当の理由は...

「良かったわ!もう傷が大分塞がってきました。」 
ロザリーがアンドレの背中の包帯を取って銃創を視た。  
「アンドレ、ちょっと髪の毛をむすばせてもらうわね。」 
傷を消毒する為にロザリーがエプロンのポケットから水色のリボンを取り出して髪をまとめて縛った。 
「ほら、昔を思い出すでしょ?」 
隣の寝台で横になっていたオスカルが口を挟んだ。 
「本当だ!そう言えば、お前は何故髪をもう結ばないんだ?」 
アンドレの長かった髪をちょん切った超本人が聞いているのだから世話無い。 
「あら、オスカル様はご存知なかったのですか? 髪を切ってからのアンドレの株が急上昇しましたのよ! 宮廷のご婦人方が従順で静かな従僕から魅惑的で男の色気満点のボディガードに大変身したとかもっぱら大騒ぎでしたのに!」 
アンドレの左目の失明の件もオスカルを大勢の賊から守った為と言う噂の尾が尾をひいてなかなかロマンチックなメロドラマとして多くの貴婦人が夢見心地で語り継いだと言う。ロザリーはオスカルの役に立ちたい一心でアンドレが必死に目で 
「やめてくれ〜!」 
と合図するのも気づかずに喋りまくった。
「その頃からお屋敷の方にもアンドレ宛のラブレターとか贈り物が増えて処分するのが大変だったのですよ!」
始めのうちは微笑みながら聞いていたオスカルだったが、だんだんと微笑みが作り笑いに代わり、しまいには目が完全に怒っていた。アンドレはそれをどうする事も出来ず只心配そうに見守っていた。その時、誰かが廊下で叫んだ。 
「救急の怪我人が入りました。手の開いている方は治療室に来て下さい!」
ロザリーは躊躇したがオスカルが言った。 
「ロザリー, おまえも行っておやり。ここは私がやる。」 
「オスカル様が?」 
「私だって軍人だ。怪我の手当の一つや二つは朝飯前さ。」 
「そうですか…じゃあおまかせします。」 
アンドレは心の中でロザリーに行くなと叫んだがもちろんロザリーには聞こえない。消毒薬を持ったオスカルがいきなりアンドレの首を掴み、銃創に消毒薬をじゃぶじゃぶと注いだ。 
「い..痛い!しみるぞ〜!もっと優しくしてくれ〜っ!」 
アンドレの叫び声におかまい無しでガーゼでごしごし擦った。 
「… 魅惑的で男の色気満点のボディガード、か…?」 
アンドレの悲惨な叫びは病院では有りがちな雑音として誰も気に留めはしなかった……

*********

「おまえ未だ怒っているのか?」 
オスカルが背中を向けて寝台に横になったまま返事をしない。
「そう言えば… 」 
オスカルにも思い当たる節が有った。 御婦人方がいつもアンドレに用を申し付けようとしていたがそう言う事に全く疎いオスカルは何故上級貴族の女性達が他人の従僕を借りねばならないのか解らなかったのだ。オスカルがやっとアンドレの方に向き直り彼を見つめた。確かに素晴らしく男前だ。顔立ちも美しいし、無駄の無い体つきだって…オスカルの脳裏にたった一晩だけ重ねた逞しい男の肉体が浮かんだ。あの女達も今私がこうしている様にこの力強い腕に抱き締められて苦しい程に満たされるのを焦がれているのだろうか。

オスカルがやっと我に帰ったのはアンドレの低く甘い声が彼女の耳元に優しく囁かれて今まで焦がれていた胸に抱きすくめられた時だ。
「何をする!ここは病院だぞ!」 
「鍵は掛けた。それに俺があれだけ叫んでも誰も来なかったんだ。先ずは大丈夫さ!」 
たまらない程の羞恥心とは裏腹にアンドレに愛撫される体がそれを望んでやまない。まるで溺れかけた子供の様に必死にアンドレの背中にしがみついた。 何度も押し寄せては引いて行く波の中で 小舟の様に激しく強く揺さぶられる。 ようやく嵐が静まった時アンドレと言う限りなく穏やかな海に 沈んで行く自分が快かった。

*************

「…傷に障っても知らないぞ!」 
アンドレの腕の中でオスカルが言った。
「何を言ってるんだ。おまえの手当の方がよっぽど傷に障ったぞ!」 
「おまえがいけないんだ。そんなに女性にちやほやされたいのか?」 
「それは違う!」 
「では何故?」 
「あの髪型は手入れに時間がかかったんだ。 その分一秒でもおまえと一緒にいたかった。」  
オスカルの髪の毛を指で弄びながら言った。 
「それに俺は明け方までおまえの部屋で添い寝していただろう?」 
「ああ。ただずっと私を抱いていてくれたな。」  
今から思えばもったいない事をした…とオスカルは心の中で呟いた。 
「まさかおまえの前でナイトキャップを冠る訳行かないだろ?」 
「ナイトキャップって、あのとんがり帽にポンポンが付いた…?”  
「そうだ,あれを冠らないと俺の癖毛が爆発して手がつけられなくなる。」 
オスカルの目は点になってしまった。 
「おまえがナイトキャップを冠って寝ている所なんて考えられない!」  
「とてもじゃないが魅惑的で男の色気満点のボディガードには見えないぞ!」   

「…気にするな…髪の毛はそのままで良いぞ…」 
それだけ言うとオスカルはこらえきれない笑いを隠す為に頭から布団をかぶってしまった……

*Nightcap*


Saint François d'Assise  (聖フランソワ)  (4) 

時は流れまた聖フランソワの日が訪れた。スゼットのハーネスのハンドルを握るアンドレにもう杖は必要なかった。人混みの中でも知らない土地でもスゼットは完璧にアンドレの目となってくれたから。スゼットのおかげでアンドレは一歳半のセシルの手をつないで人混みの中を歩く事が出来た。その後ろからは微笑みながら父と娘を見つめるオスカルが乳母車を押して付いて行く。

「やあカエサル!又動物が増えたのか?」 
オスカルが笑ってカエサルに呼びかけた。カエサルのロバの上には去年の猿と犬の他にオウムが加わっていた。
「なあに、金持ちが気まぐれで飼ったこいつらがほったらかしになっていたのを見るに見かねて引き取ったのです。」  
何ともカエサルらしい。 
「それよりお宅の双子はどうですか?」 
「とても元気だ。ミルクを沢山飲んで良く寝ている。」 
オスカルがそっと乳母車の中の毛布を持ち上げるところころと太った2匹の真っ白な子犬が丸くなって寝ていた。 「Bellissima! Mi Cuore!」
カエサルは感嘆して寝ている子犬の頭にキスした。 アンドレが尋ねた。 
「子犬は クオーレと名づけられたのですか?」 
カエサルが心持ち顔を赤くして言った。 
「はい。イタリア語で ミ・クオーレとは私の心と言う意味で、実は二人だけの時に妻をそう呼んでおりました…」 
それを聞いてオスカルまで顔を赤くしていた。 
「私のクオーレが必ずアンリを守ってくれるでしょう!」  
オスカルとアンドレも深く頷いた。






あとがき:クオーレ様、勝手にお名前を拝借して申し訳有りません! でも聖フランソワシリーズを描くにあたりクオーレ様の優しいお言葉を読んでとても励ましになりました。その感謝の気持ちを込めて使わせて頂きました。

Saint François d'Assise  (聖フランソワ)  (3)

次の日から毎日午後になるとカエサルが La Petite Chaumière にやってきた。革と木の棒で作ったハーネスをスゼットの胴に付け、その両側から突き出しているハンドルをアンドレに握らせた。なるほど革紐よりもよほど安定感が有りスゼットとアンドレが障害物を挟んで引っかかる心配も無くなる。始めは基本訓練から始まり毎日根気よく訓練した。毎日の訓練が終わると必ずスゼットのハーネスを外して遊ばせてやる。 
「盲導犬は仕事中に気を張りつめていますから、仕事が終わったら、思いっきり遊ばせてストレスを解消させてあげてください。」  
基礎ができてくると階段や溝などの段差の前や 、低い木の枝の下などで止まってアンドレが杖で確認するのを待つ。そしてテーブルや柵の下など犬は通れても アンドレの通れない場所はよけなければならない。 
「犬が止まったら杖での確認は足元だけではなく頭上もして下さい。」  
オスカルもカエサルの指導で仕事中のスゼットに食べ物やおもちゃを見せる。仕事中は犬に頼っている盲人の為にどのような誘惑からも負けてはいけないのだ。
「良いですか、動物と言う者は叱るよりも誉めるほうが覚えが早いのです。」

*********

それから半年が過ぎスゼットはいかなる状況でも盲導犬としての役割を果たせる様になっていた。カエサルも満足げに言った。 
「もう私の訓練も月に一度のおさらいで大丈夫でしょう。後は出来るだけ何処にでも出かけて体で覚える事ですね。」 
アンドレはカエサルの両手を握りしめて言った。 
「本当にどうも有り難うございました。どうお礼を言って良いか解りません。これでいつも妻に頼らなくて済みます。」  
「アンドレ、私は頼られても一向に構わないのだぞ。でもお前が少しでも自由を取り戻せるのなら私もこれほど嬉しい事は無い。」 
「ああ、これでスゼットが馬車を操る事さえできればな!」
二人は声を出して笑った。

Saint François d'Assise  (聖フランソワ)  (2)

カエサルの農家は古いがこざっぱりしていた。息子夫婦とその子供たちと一緒に暮らすカエサルは、今はもう農業の方は息子に任せ、もっぱら孫の子守りをして暮らしているという。二人に紅茶を出しいくつかのマドレーヌを皿に盛って勧めた。
「さて、本題に入る前に先ずは私の事を少し説明させて下さい。私はイタリア、ミラノ周辺のサーカス一座で生まれました。母は私が小さい時に亡くなり、動物の調教師をしていた父を手伝って私は物心付いた時から動物の世話をしていました。父が年を取り引退する頃には私はもう一人前の調教師として勤める事ができたのです。しかし30年程前サーカスがこの村を通ったとき妻と出会い一目惚れしてしまったのです。」  
カエサルの目は30年も昔の自分と妻を思い出す様に遠い目をしていた。 
「リリーは、…妻はこの農家の一人娘でした。リリーの両親に私達の結婚を許してもらう為、私はサーカスをやめてこの地で農業を営みました。妻は5年前に亡くなりましたがそれは平和で幸せに満ちた暮らしでした。」 
そこでカエサルは一息つくと紅茶を飲み干した。

「さて、あなた方を此処へ呼んだのは、実はあなた方のスゼットを私に調教させて欲しいのです。」 
「調教?なぜまた?」 
オスカルとアンドレが同時に聞いた。さっきまで遠くを見ていたカエサルの目が今度はきらきらと光り出した。
「私は見たのです。さっきスゼットが貴方の上着を引っ張って危険から守ったのを。犬という動物はとても賢いですから何でも教えれば覚えます。特にスゼットは牧羊犬ですので何でも誘導する習性が有ります。しかしあのとき貴方の進めと言う命令を背いてまであそこにとどまり貴方を守ったのは誰の命令でもなくスゼット自身の判断です。」 
確かにそのとおりだ。あの時アンドレは何も知らずスゼットの鼻の頭を叩こうとしていたのだ。 それにもかまわずスゼットは彼を守ってくれた。今から考えると何と健気で忠実な行動だろう。アンドレは足下で眠っているスゼットの隣に膝をついてスゼットを抱き締めた。
「ありがとう、スゼット。」 
気持ち良さそうに眼を瞑ったままスゼットがしっぽを降り、その先が床にあたってぱたぱたと快い音を立てた。

カエサルが続けた。
「こうした判断力を持つ犬だからこそスゼットは貴方の盲導犬として適しているのではないかと思うのです。そこであなた方さえ良ければ私にスゼットを調教させてください。」 
オスカルが尋ねた。
「そして貴方の条件は?」 
「私にスゼットの子犬を譲ってほしいのです。なに、その時がくれば私がスゼットにふさわしい雄犬を見つけてきますので心配はご無用です。」 
「何故貴方はそこまでしたいのですか?」 
今度はアンドレが尋ねた。 カエサルは静かに立ち上がると、
「ちょっとお待ち下さい。」
と一言いうと奥の部屋へ消えて行った。 そして7歳位の少年と一緒に戻ってきた。
「私の孫息子のアンリです。アンリ、こちらはグランディエ夫妻だ、挨拶をしなさい。」 
アンリは微笑んで 
「こんにちは、アンリです。」 
と頭を下げた。しかしその少年の濁った目はアンドレとオスカルの間に向けられていた。それだけ言うと又カエサルは孫息子の手を引いて奥の部屋へ戻って行った。 カエサルが戻ってくると 
「奥様はもうお気づきだと思いますが、アンリは生まれつき目が不自由なのです。あの子に盲導犬を与える事ができたらどれだけあの子に生活の自由をもたらす事ができるかと…」 
カエサルの声が詰まった。

アンドレとオスカルは無言でお互いの手を握りしめた。そしてアンドレがいつもの低く優しい声で答えた。 

「…それで訓練はいつから初めるのですか?」
 

Saint François d'Assise  (聖フランソワ)  (1)

今日は10月4日、聖フランソワの日である。自然や動物を愛する事の尊さを教えた動物の守護聖人である聖フランソワにあやかり今日のミサはペットの祝福をする為に教会近くの広場で行われた。村人達の中にはバスケットに入れた子猫や小鳥の籠を下げた者や、犬や子馬を引いている者もいた。オスカルとアンドレも乳母車の中で眠る乳児のセシルと大分成長したスゼットを連れている。オスカルは奇妙な人物を見つけてアンドレに囁いた。
「 アンドレ, 何ともおかしな人がいるぞ。」 
「 えっ、どんな?」 
「 少し年のいった男だ。ロバを連れていて、そのロバの背中に猿と小型犬が乗っかっている。」 
「 何だ、それは?お伽話の洒落か?」 
「 ブレーメンの音楽隊ならば猿ではなくて猫と鶏だ!洒落ではない。」 
オスカルが少し機嫌を損ねた様だ。しかしすぐにミサが始まり二人はおかしな男の事はもう話題にしなかった。祈りも終わり皆が一列に並んで聖体拝領を受けた後、神父様がペットの頭に手をかざして祝福をする。 スゼットも無事祝福をもらってミサが終わった。

***********


ミサが終わって人が散る様に広場から去って行く。 その人混みの中を歩く二人はいつの間にか離ればなれになってしまった。しかしこういう時は無駄に探し回るのではなく馬車で待ち合わせる事になっていた。アンドレはスゼットを引いて馬車に向かった…と言うよりは実はスゼットに引かれていた。人混みを避ける様に進むスゼットにまかせてアンドレは杖で前方を確認しながら歩いた。その時もアンドレは前方を確認したにも拘らずスゼットが突然止まった。
「 どうした, スゼット?」 
スゼットの革ひもを優しく引っ張ったが、てこでも動かない。それどころかアンドレの上着の裾をくわえて後ろの方に引っ張った。 
「 お遊びが過ぎるぞ、スゼット!」 
アンドレがスゼットの鼻の頭を叩こうとしたその瞬間、鞭の音がして近くに止められていた馬車が走り出しアンドレの前を突っ切った。その時かすめた突風がいかに馬車が近かったかを感じさせた。何も知らずに足を踏み出していれば間違いなく馬車に押しつぶされていただろう。アンドレの背中をひやりと冷たい汗が流れた。 
「 ありがとう、スゼット。お前のおかげで命拾いしたぞ。」  
流石のアンドレも今のニアミスには動揺を隠せず杖を持つ手が少し震えた。その時大きな温かい手がアンドレの腕をそっと掴み 
「 お手伝いさせてください。」 
アンドレも素直に答えた。 
「 有り難うございます。助かりました。」 
その男は落ち着いていたがイタリア訛りのあるフランス語でアンドレに尋ねた。
「 貴方の奥様は乳母車を引いていた金髪の美しい方ですよね? その方の所までお送りしましょう。」 
アンドレは見知らぬ男の好意に任せた。

****************

はぐれたアンドレを馬車で待っていたオスカルは驚いた。アンドレがこちらへやってくる。そのアンドレの腕を取って歩いて来るのはさっき見かけたロバと猿と犬を連れた男だった。 アンドレが今さっきの出来事を話すとオスカルの顔は恐怖を隠せなかったが一応男に礼を言って自分達の名前を名のった。
「 遅ればせましたが私の名前はカエサルと申します。折り入ってあなた方にお話が有るのです。我が家はついこの先の農家なのですが、ひとまず我が家へ寄って頂けないでしょうか。」 
アンドレに力を貸してくれた礼もあるし変わり者でも危険な人間とは思えない。二人は頷いた。 カエサルがロバに乗ると猿がその背中をするするとよじ登り肩に腰掛けた。犬はそのままカエサルの後ろに座ったままロバが歩き出した。
「 カエサルは一体俺たちに何の用が有るんだ?」 
二人は好奇心一杯な面持ちでカエサルの後を馬車で付いて行った。




 
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Missy

Author:Missy
はじめまして!Missy です。日本語はまだまだ未熟ですが,ここはそんな私の妄想で暴走している AO主義のベルばら二次創作サイトです。
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