四旬節  -Lent-(6)… そして復活祭 (Easter)  (おまけ)

その夜オスカルは寝台に横たわるアンドレの隣でアランからの手紙を読んだ。

「隊長とアンドレ、

先日はたいした代物を有り難うございます。おかげで遺族の為に何かしてあげる事ができ光栄です。酒好きの隊長が自分では一口も飲まずに送って下さった貴重な酒は闇市でできるだけ高くふっかけて....おっと、こういう事はあなた方が知らない方が良いでしょう。とにかく皆とても助かりました。皆に変わってお礼を言わせてください。

それとアンドレ、 フランソワの弟の件は手筈を整えた。あの子はおまえの事をよく覚えていたぞ。兄貴の慰霊祭の時に優しくしてくれたってさ。お前って本当に良い奴だな。隊長がおまえにベタ惚れする訳だ。

それでは体に気をつけてお元気で。

アラン」


アランらしく短くて飾りけの無い手紙に二人の心が暖まる。

「フランソワの弟の件とは何のことだ?」 
「ああ、顔見知りの元ジャルジェ家お抱えの靴屋にあの子の事を頼んだんだ。あたらしい靴が必要になったらそこに行って新しいのに変えてもらう。支払いはこちらで引き受けた。」 
「それは名案だ!」
「フランソワもきっと喜んでくれていると思う。」 

オスカルの手には人肌に暖められたコニャックのタンブラーが握られていてその琥珀色の液体の芳香を満喫するようにうっとりと目を細めていた。
「どうだ、味の方は?」 
「ああ素晴らしい。まろやかでコクがあって。」 
「良かった、お前が気に入って。」
アンドレが満足げに微笑んだ。するとアンドレの顔に甘い香りの柔らかな黄金色の糸がふわりとかかったかと思うとオスカルの体の暖かさが腰に伝わってくる。アンドレにまたがって座ったオスカルがアンドレの胸のボタンを一つずつ外す。


 
「......イースターバニーにプレゼントのお礼はまだだったな.........」






あとがき: 現在ではコニャックと言う名前はコニャック周辺で産出されるブランデーのみに使われます。 実はコニャックとシャンパーニュはパリを挟んで逆方向にあります。従ってシャンパーニュでつくられたブランデーは本当はただのブランデーなのですが作者の好みと偏見で勝手にコニャックにしてしまいました... 

 

四旬節  -Lent-(5)… そして復活祭 (Easter)

「 さあセシル!イースターエッグをみつけてごらん!」 
綺麗に彩色されたゆで卵が La Petite Chaumière の芝生の所々から覗いている。白いバスケットを手に提げたセシルが奇声を発しながら卵を集めるその周りをスゼットが嬉しそうに駆け回る。今朝は日の出と共に屋外ミサが有り村中の人たちが主の復活をを祝った。アンドレに寄り掛かりセシルを見つめて微笑むオスカルの手にはミモザのグラスが握られていた。
「 大丈夫か?ペースが早すぎないか? お前40日間酒を飲んでいないんだぞ。」 
「 心配するな。これは大半オレンジジュースだ。それにこんな安いシャンパンでは私は酔わない。」  
「 やれやれ、なれない禁酒などをすると後が大変だな!」  
ゆで卵を全部拾ったセシルが白い籠をアンドレに渡した。 
「 全部見つけたのかい?やけに軽いぞ。」 
アンドレが指で卵を一つ一つ触りながら数えて行く。 
「 10個しか無いぞ。俺20個卵を茹でたのだが。」 
「 ああ色を塗るのに少し失敗してしまった。余り汚くなった者は殻を剥いて頂いた。」 
「 10個も食べたのか!!」 
「 一人ででは無い。セシルもスゼットも協力してくれた!」 
アンドレにはオスカルのすました顔が目に浮かぶ。

アンドレがセシルをだっこして屋敷の中に入ると白い籠とミモザのグラスを持ったオスカルがその後を続く。
「 セシル、イースターバニーが来たかどうか見てみよう!」 
セシルの部屋の扉を開けると金髪に蒼い眼のお人形が寝台の上に座っている。大喜びのセシルがお人形を抱き上げる。
「 あれあれ、イースターバニーは母様にもプレゼントを持ってきてくれたぞ!」 
アンドレが大きな紅いリボンに飾られた見覚えの有るシャンパーニュのシャンパンとコニャックをオスカルに渡した。
「 これは一体どういう事だ?私に内緒で隠しておいたのか?」 
「 おいおい、人聞きの悪いことを言うな。教会の競売で買ったのさ!神父様も大喜びだったぞ。このシャンパンとコニャックのおかげで例年にない程資金が集まったそうだ。」 
「 それにしても自分で寄付した物を買うなんてばからしく無いのか?」
「 良いじゃないか。教会は利益を得たし、お前はおいしい酒が飲める。」 
「 お前は本当にお人好しだ。」 
「そんな男は嫌いか?」 
「 …馬鹿…そこがお前のいいところさ。私のアンドレ!」 
オスカルは酒の瓶を大事そうに抱えながらアンドレの鼻の頭に口づけした。

四旬節  -Lent-(4)

「アンドレはいるかい?」 
隣の農家に住むポーレット・クレモンが大きな籠を持ってやってきた。
「ああポーレット。どうぞ座って下さい。今お茶でも淹れましょう。」 
「相変わらず気が利くね、あんたは。」 
南部の強い光の下で百姓仕事をして育ったポーレットの顔は浅黒くたくさんの皺が刻まれていた。それでもこの地で出逢った人が皆そうである様にポーレットも又心優しく世話好きな女で、特にセシルが産まれてからは百姓仕事の合間に La Petite Chaumière に立ち寄ってはセシルの面倒を見てくれたりする。
「フランシーヌ、じゃ無かった、オスカルは寝ているのかい?」  
彼女はこの地でオスカルの本名を知る数少ない一人だ。
「はい、セシルが正歯していて昨日の夜は余り眠れなかったのです。二人ともやっと今しがた眠りに着いた様で…」 
「ああ私におかまいはいらないよ。正歯にはカモミラを煎じて飲ませておやり。痛みや熱だけではなく下痢も治まるから。」 
4人の娘を育て上げ今は孫も10人いるポーレットは育児に関しては知識が豊富である。 
「そうそう今日はベルガモットを持ってきてあげたよ。あんたはそれで作ったオードトワレを使っているだろう?あれは本当に爽やかでいいね。家のセルジュにも作ってみたんだけど、どうも似合わないんだ。やっぱりあんたが男前だからかね…」 
ポーレットがベルガモットで一杯の籠をアンドレに渡した。
「こんなに沢山どうも有り難うございます。オードトワレだけではなくてオスカルは紅茶にこの香りを淹れて楽しむのが好きなのです。助かりました。」 
アンドレが居間の奥の毛布に囲まれた巨大な塊の方に歩いて行った。
「ではお礼代わりにこれを」 
「な…なんだいそれは?」 
「頂き物のシャンパンとコニャックです。」  
何本かのボトルを毛布に隠された木箱から出してきた。 
「別に怪しい物ではないのです。オスカルが四旬節の間禁酒中で…毎日酒の箱を眺めているのは酷かと思いまして…」 
「そうだね…それだけ有ったら地下室にもはいりきらないね…」 
アンドレが4本のボトルをポーレットに渡した。そのボトルを見た途端ポーレットは驚いて目を見張った。
「あんた方一体どんな素性なのかい?このシャンパン一本で何百籠ものベルガモットが買えるよ。これではもらい過ぎだよ。」 
交渉のあげくなんとかシャンパンとコニャックを1本ずつ受け取ってもらった。
「もし本当にそのシャンパンとコニャックを処理したいのなら神父様に相談してご覧。きっと何か良い考えを授けてくれるよ!」 
ポーレットは自分たちには一生手に入らぬ様な最上級の酒を手に帰っていった。 
「本当にありがとうよ!セルジュの驚く顔を見るのがまちきれないよ!」 
「ポーレット、忠告をありがとう。神父様に相談してみるよ。」 
アンドレが上着を着ながら言った。
「途中まで乗せて行ってあげるよ。」 
二人は一緒にLa Petite Chaumière を後にした。

残りの酒は358本。四旬節の終わりまでまだ半月近く有った。


*********

「本当にそんなに高価な物を頂いて良いのですか?”神父様が興奮して言った。
「シャンパーニュのシャンパンと言えば一流貴族や王室位にしか手に入らない晩品ではありませんか?」 
アンドレが少し恥ずかしげに答えた。
「いいんです。家には置く場所も無いので困っているのです。」 
「それでは御言葉に甘えて頂きます。丁度復活祭の催し物の中に競売があるのです。皆から寄付された物を売ってそのお金は孤児院の運営費や教会の修理費などに使わせて頂きます。」 
「その様に価値のある理由でしたら本望です。v  
「有り難うございます。修道輔祭のリシャールに貴方を御送りする様に命じます。」 
「ああ助かります。それでは帰り車にシャンパンとコニャックを積んでお持ち替えり下さい。」
**********

リシャールは山積みのシャンパンとコニャックを見て感嘆の声を上げた。
「これはすごい! それでいくつ頂けるのですか?」
「妻が楽しみにしていたものですからシャンパンとコニャックを一箱ずつ残して頂ければ後は全部お持ち下さって結構です。」 
「ありがたい! これだけの量が有れば教会の屋根も直せそうです! もう雨漏りがひどいのなんのって… 」 
アンドレはリシャールを手伝って木箱を馬車に積んでやった。大喜びの修道輔祭が帰った後は一箱ずつ残されたシャンパンとコニャックが居間の片隅にひっそりと取り残されていた。

**********

「そうか、姉上の贅沢わがままが人助けになるのなら此れ幸いだな。」 
「ああ、教会の修理だとか孤児院の子供たちに上着や靴が買える。」 
突然二人の顔から微笑みが消えた。
「靴と言えば…」
二人は同時に弟思いのそばかす顔の青年を思い出していた。未だ年若きその青年は革命の犠牲となり初夏のパリでその短い命を落とした。 
「お前もフランソワ・アルマンの事を考えていたのか?」 
「フランソワだけではないぞ。テュイルリー宮広場とバステイーユで戦死した者の家族が皆、唯一の収入をなくして苦しい思いをしているのだろう。」  
暫く考え込んでいたオスカルがやっと口を開いた。 
「この残りのシャンパンとコニャックをパリのアランに送ってくれないか? あいつならこれを上手く捌いてまとまった金を作る事ができるだろう。それを遺族の方達に分けてあげて欲しい。」 
「よし解った。それでこそ俺のオスカルだ!」 
早速アンドレが木箱を馬車に積む準備をしているとオスカルがそれを止めた。 
「ちょっと待ってくれないか?」 
オスカルが木箱を開けてコニャックを一本取り出した。それを愛しそうに暫く手に取って眺めていたが気持ちを振り切って元に戻した。オスカルがコニャックを戻したのを待ってアンドレが声をかける。
「本当に良いのか?」
「ああ大丈夫だ!もう覚悟は決めた!」 
オスカルの言葉には強い意志が感じられたがそれにちょっぴりの寂しさが混じっていた事もアンドレは見逃さなかった。                  

四旬節  -Lent-(3)

人は破れかぶれになると独創的に物を解釈出来る様になるらしい。オスカルのその時の心境もかなりの独創性があった。 
「この村に住むマダム・フランシーヌ・グランディエは四旬節中、酒を自粛しているがオスカル・フランソワ・グランディエは違う!」 
オスカルはいつもの女装ではなく久しぶりにキュロットとシャツを着た。首にはクラバットを巻き、金の髪を昔アンドレがしていた様に後ろで束ねると鏡の前に立つのは美しい細身の男性だった。窓からそっと覗くとアンドレが川辺でスゼットの餌用の魚を釣っている。それをセシルとスゼットが興味深そうに眺めていた。まるで絵の様に和やかな風景だ。オスカルはそっと厩に向かうと馬に乗って一人La Petite Chaumièreを後にした。

************

Vallée de Sérénité には酒場がたった一つしか無かった。 白髪で話し上手のマルセルが店主でオスカルとアンドレもポーレットにセシルを頼んでは二人で来る事が有る。しかし今日の男装では気づかれる事は無いだろう。午後の店内は未だ空いていて客はオスカルの他には4人の男しかおらず、4人ともサイコロのゲームに夢中で顔も上げない。 人目を避けてそっとカウンターに腰を掛けると、マルセルに声をかけた。
「ブランディーを一杯頂こう。」 
マルセルは顔を上げもせずに答えた。
「良いんですかい、マダム・グランディエ? あんたは四旬節の間は禁酒してるって旦那さんに聞きましたが。」
オスカルが狼狽えた。
「わ…私が解るのか?」 
何とも間の抜けた質問だが考えている暇はなかった。それを聞いて女給がオスカルの顔をまじまじと見た。
「あっ、そうだ。あなたマダム・グランディエでしょう? どうしたのよ、その格好? 仮装パーティーにでもいくの?」 
オスカルは居たたまれなくて 一言 
「失礼!」 
と言うと酒場を出た。オスカルは馬を駆って家に戻って行った。 
「何でばれたのだろう?それにしてもアンドレの奴、男のくせに無駄話が多すぎる!」

************

屋敷に着くとアンドレはもう戻っていてテーブルの上には夕食の準備が整っていた。セシルはもう眠っている様だ。 
「お帰りオスカル!お腹はすいているか?今スープを温めてやるぞ。」 
普段なら挨拶のキスをする所だがオスカルは一言、
「ああ解った!」 
と答えると寝室に入ってモスリンのスカートとペザントブラウスに着替えた。身支度が整うと今度はアンドレに後ろから抱きついてただいまのキスをする。 アンドレは事も無げに聞いた。
「久しぶりに男装なんかしていったい何処へ行ってたんだい?」 
「えっ?」 
オスカルは次の言葉も出なかった。何故だか皆がオスカルの策略を見抜いてしまう。 こうなったら恥を忍んで全てを話すしか無い。どちらにしてもアンドレに隠し事をするのは良い気がしない。 
「実はマルセルの店に行った。」 
「ほう、それで男装をしていたのか。それで酒は飲んだのかい?」 
オスカルは下を向いたまま小さな声で答えた。
「酒を頼もうとしたらもう私だと言う事がばれていた。それにしてもマルセルが何で私の禁酒の事を知っているのだ!」 
恥ずかしさの余りアンドレにやぶ蛇だ。
「尋ねられたんだよ、今度何時飲みに来るのかって。おまえが禁酒中だから四旬節が終わった後に行くと言った。」 
そう言われてみればごく当たり前の会話の様だ。
「しかし解らぬのはマルセルが一目も見ぬうちに私の男装を見破った事だ。」 
アンドレは笑い出した。
「何がそんなに可笑しいんだ?」 
オスカルの声が心持ち拗ねている。 
「そうか、おまえは知らなかったんだな。」 
「何を?」
「マルセルはね、昔海軍の水夫をしていたんだ。しかし訓練中に大砲が爆発して目を痛めてしまったんだ。彼の視力は俺の様に全盲では無いけれど限られているんだ。」 
「そうか!では私の男装を見破ったのではなくて、私の声を聞き分けたのだな。」 
「そのとおり。」
「何だ、ばかばかしい。」 
「手品も種を明かせばそんなものさ。」 
「それではおまえも種明かしをしてくれ。」 
「何の事だ?」
「何故私が男装をしていた事がわかった? おまえひょっとして実は目が見えているのではないか? まさか今までの事は全て私をからかっていたとか…」  
アンドレはさも可笑しそうに笑いながら答えた。
「俺の目は本当に見えない。信じてくれ。でも視力を失ってから俺の聴覚が鋭くなったのはおまえも知っているだろう?」  
「ああ。驚く程だ。」 
「家に帰ってきた時のおまえの靴音でそれが男物の靴だと解ったんだ。」 
「そんな違いも解るのか?」 
「あたりまえだ。お前の事だけを愛してきた俺だ。この体中の感覚の全てでお前を覚えている。お前の甘い香り、お前の肌の柔らかさ、お前の足音、その全てが愛しい。」 
アンドレの力強い腕がオスカルの体を包み愛してやまない弾力のある唇がオスカルの唇を塞ぐ。お互いの舌を絡め合わせながらオスカルが息絶え絶えに囁いた。 
「アンドレ、スープは後で良いぞ。」 
アンドレがオスカルの胸元に舌を這わせながら返事をする代わりに頷いた。 アンドレの耳たぶを優しく噛みながらオスカルが囁いた。

「…酒の代わりに今夜はお前に酔わせてくれ…」

四旬節  -Lent-(2)

朝食の卵とパンをコーヒーで流し込みながらオスカルが上機嫌で言った。
「もう灰の水曜日から丸一週間になる…わたしは酒を一口も飲んでいないぞ!」  
もちろん本人は夜中に地下室で酒を飲もうとしてアンドレに見つかり断念した事を都合良く忘れていた。アンドレも長年の従僕としての訓練からか、礼儀正しくその事に着いては触れず、ただ 
「偉いぞ!!!オスカル!」 
と思いやり深い微笑みを愛する妻に向ける。余計な事は言わないに限るのだ。

その時スゼットが飛び起きて吠え出した。
「誰だ、こんな朝早くから?」 
吠えるスゼットを宥めて扉を開けると丁度大きな荷馬車が近づいて来る所だった。
「アンドレ、おまえ何か頼んだのか?」 
「いいや、今週はもう配達は無いはずだが。」 
馬車止めに荷馬車を止めると御者が書類を持ってこちらへ歩いて来る。
「ムッシュウ・グランディエですね?ベルサイユから配達にあがりました。」  
アンドレの代わりにオスカルが書類を受け取った。
「これはクロティルド姉様からだ!」 
書類と共に受け取った手紙の封を切り声を出してそれを読んだ。


「親愛なるアンドレ、貴方とオスカルは元気でやっている様で何よりです。もうあなた方も知っての通りここベルサイユでも不穏な動きが多く治安が乱れています。主人と検討した結果私達はスペイン王国に亡命する事にしました。幸い主人のいとこがアンダルシア地方セビリアの伯爵家に嫁いでいて暫くはそこで厄介になる事になりました。その屋敷には年頃の跡取息子がいるらしいので私の末娘のアンジェリークはどうかと思っているのです。あなた方もセシルの嫁ぎ先が心配なら私に任せて下さいね…」

そこまで読むとオスカルが一息入れてコーヒーを一口飲んだ。

「姉上には呆れるな。セシルは未だ一歳の誕生日前だと言うのに!」 
「おまえの姉上に厚くお礼を言ってお断りしてくれ。セシルは嫁には出さん。悪い虫がつかぬ様に一生この父様が守るぞ!」 
オスカルが笑って答えた。 
「そうだな,間違ってもセシルには護衛兼遊び相手の幼馴染みは付けるな!」 
「その通り、そいつが一番危ないな!」 
二人が腹を抱えて笑った後オスカルが続きを読んだ。

「私達は殆どの領地を処分しましたがシャンパーニュの葡萄園だけはどうしても手放せなかったの。あそこで作られるシャンパンは世界一の名酒。そこで思いついたのはあなた方なのです。葡萄園の名義をあなた方に換えておきました。そこの使用人達は皆古くから私達に仕えている者ばかりで信用におけます。これと言って何をする必要も無いけれど強いて言えば年に一度視察に行き帳簿を見る位あなた方でも十分できるでしょう? そして毎年極上のシャンパンを私達の所へ送って下さいね。そのお礼と言っては何ですが今年のシャンパンとコニャックをあなた方に送ります。あなた方に神のご加護が有る事を祈ります。最愛の姉、クロティルド」

「全くちゃっかりした姉上らしいな。」 
オスカルが呆れて言った。 
「それで一体どのくらいのシャンパンとコニャックを送ってきたんだい?」  
書類に目を通すオスカルが答えた。 
「ええと…シャンパンが20とコニャックが10…」  
「30本くらいなら地下室に十分入る…」 
「いいや30本じゃない。30箱だ。」  
「えっ?」 
「一箱12本入の木箱が30。合計で360本だ!」 
「なんだって! おまえの姉上は俺たちが舞踏会でも開くと思っているのか? とてもじゃないが地下室には入りきらないぞ。」 
アンドレが言い終わらぬうちに御者が木箱を屋敷の中に運び出した。見る見るうちに木箱が居間の天井まで届く程山積にされた。

「神様と言うのはよほど悪戯好きなのか私には試練が必要だと言う事か?」
目の前に積み上げられた最高級のコニャックとシャンパンの木箱を恨めしげに見つめながらオスカルが吐き捨てる様に言った。

「あと33日...」

四旬節  -Lent-(1)

「こら、こすってはだめだぞ。顔中が黒くなる!」 
セシルは神父様が額につけてくれたナツメヤシの灰が気になっていた。 もうすぐ一歳になるセシルは オスカルとアンドレに手を引かれて灰の水曜日のミサを終えて教会を出るところだ。

「さてオスカル、おまえは何を絶つのだ?」 
「未だ考えていなかった。やはり何かを絶たねば行けないのか? 昔の暮らしから比べれば十分質素だと思うのだが。」 
「四旬節の節制と言うのはキリスト様の苦しみを分かち合う為の物だろ。自分のできる限りの事をすれば良いんだよ。」 
「お前は何を自粛するんだ?」 
「そうだな,俺、お菓子大好きだろ?だからお菓子を自粛しようかと思って。」 
「じゃ、私もそうしよう。」 
「だめだよ。おまえお菓子なんてもともと余り食べないじゃないか。」 
「そうか。では一体何が良いのだ?」
「お前の一番好きな物と言ったら…酒じゃないのか?」 
「それは無理だ!」 
「大丈夫。たったの40日間だぞ…それにこんな田舎ではおいしい酒も無い。」 
「それもそうだな。よし、では私は酒を断つ!」 
「えっ、本当に?」 
「大丈夫だ!こう見えても私が我慢強いのはお前も承知だろう?」  
「そうだな...」 
そうはいったもののアンドレは半信半疑の面持ちでオスカルを見つめていた。

*********

その夜皆が寝静まった夜更けにオスカルは蝋燭の光を頼りに地下室へ続く階段を下りて行った。オスカルの気配に目を覚まして寄って来たスゼットに優しく話しかける。 
「良い子だから静かにしておくれ。アンドレを起こしたく無いんだよ。」  
地下室は何時でもひんやりと冷たく去年の秋の果物が保存用の木製のパレットに並んでいる。アイスボックスの中にはこの土地では貴重な小さな氷の塊が大鋸屑に守られる様にひっそりとあった。そのアイスボックスとリンゴのパレットの間にオスカルが探していた物があった。何本かのコニャックとワインが木の棚に行儀良く並んでいた。
「いちおう自粛してワインにしておくか…」 
余り上質とは言えない白ワインのボトルに手を伸ばした時紙片が手に触れた。
「なんだ,これは?」 
オスカルが紙片を蝋燭の火に近づけてみると見慣れたアンドレの筆跡があった。

「最愛の妻オスカル、神は全て御見透しだと言う事を忘れるな!お前の最愛の夫アンドレ」

「な…なんと!」 
慌ててワインをもとに戻したオスカルはリンゴのパレットにぶっかってしまった。夜の静寂の中で一並べのリンゴが地下室の床に落ちて転がる音が響きわたる。 
「まずい!アンドレを起こしてしまう!」 
もう遅かった。地下室の扉が開きアンドレの低く甘い声が聞こえてくる。
「オスカル、こんな夜中に地下室で何をしているんだ?」  
「リ…リンゴだ!そうだ、リンゴが突然食べたくなったんだ。」  
「何だ。リンゴ位俺が何時でも取りに行ってやったのに。」
地下室から上ってきたオスカルは両手でアンドレの頬を挿んで軽く口づけた。
「起こして悪かった。さあ、寝室にもどろう。」 
オスカルが何も持っていないのに気がついたアンドレが尋ねた。
「おまえリンゴはいらないのか?」 
「えっ?ああ、もう良い。眠くなってきた。」 
アンドレはオスカルのおかしな態度にもう全てを察していた。 
そうか…俺の忠告を読んでくれたのか?」 
アンドレに見抜かれていたと解ると恥ずかしさに体中の血が頭に昇る。オスカルは自分の顔が真っ赤になっていくのがわかった。 アンドレは視ずともそれを知っていた。二人で寝台に横になりながら声を殺して笑うアンドレに憎まれ口が飛んでくる。 
「自分で自分の事を『おまえの最愛の夫』などと書くな。しょっているぞ!」 
「ほう?違うのか?」 
「そう言った問題ではない!」 
オスカルがくるりと背中を向けて横になった。 
「おっと!お姫様のご機嫌を損ねちまったようだな。こうなったら奥の手だ!」 
アンドレが拗ねたオスカルを抱き寄せる。耳たぶから始まったアンドレの口づけが鎖骨を通り胸元に向かってゆっくりと降りてくる。 

だんだんと熱を帯びてくるすべらかな肌がピンク色に染まる頃にはお姫様のご機嫌は治っていた。

 

あとがき:22日の水曜日は灰の水曜日でした。実は飲んべえの私も四旬節の間お酒を自粛しているのです!(辛いのなんのって…) お酒好きのオスカル様の事を考えて又妄想が暴走しております。(笑)

洗礼(2)

「どうだ、良く眠れたか?」 
コーヒーの香ばしい匂いと焼きたてのパンの香りが部屋中にひろまっていく。
「ええ、アンドレ、ここはパリと比べて空気も綺麗だし、オスカル様の療養にも, 子供を育てるにも最適な場所ね。私もこんな所で暮らしたいわ。」 
「残念ながらここでは俺たちが食べて行かれる程新聞が売れないぞ。」 
ベルナールが慌てて言った。オスカルの事となると何を言い出すか解らない妻が変な考えを起こす前に先手を打っておいたのだ。 その日の朝は天気も良く皆の食も進んだ。 
「さてそろそろ行くか。」 
オスカルの腕の中で眠るセシルは白い洗礼服の天使の様に美しい。 皆は馬車に乗り込み教会へと向かった。 ロザリーが溜め息を付いた。
「本当にお美しい…きっとオスカル様の子供の頃にそっくりなのでしょうね。」 

*************

石作りの小さな教会で年老いた神父様とまだ若い修道輔祭の二人が洗礼の支度をしている。 修道輔祭が洗礼盤に水を入れ、神父様が祈りを捧げて水を清める。 皆の姿を見ると神父様が キャソックの上からエメラルドグリーンの肩掛け布を巻いた。皆に微笑むと
「このお二人がセシルちゃんの名付け親の方達ですか?」 
「はい、わざわざパリから来てくれたのです。」 
「それはご苦労様でした。」  
「そして洗礼名は?」 
ロザリーとベルナールはお互いに一瞬見つめ合うとオスカルとアンドレの方を向いて答えた。
「大天使ラファエルの女性形、ラファエラはどうでしょう?」  
修道輔祭が言った。 
「癒しの守護聖人ですね? トビト記の中で盲目のトビトの眼を治したと書いてあります。」 
ロザリーが微笑んだ。
「あら私達は大天使ラファエルが恋人達の守護聖人だと聞いて決めたのです!」 
「それもそうです。よろしいですかな?。」  
四人は同時に頷いた。

祭壇には蝋燭の光が灯され神父様の祈りが洗礼の始まりを告げた。セシルは何も知らず只眠っている。ロザリーの作った純白の衣がまばゆい。祈りを神に捧げながら聖油をセシルの額に付ける。オスカルとアンドレに尋ねる。「この子を慈しみカトリック教徒として育てる事を誓いますか?」  
「はい。」 
そしてロザリーとベルナールに尋ねた。 
「この子の名ずけ親として両親を助け、カトリック教徒として育てる事を誓いますか?」 
ロザリーとベルナールが答える。
「はい。」 
そして白いホタテ貝の殻で聖水を洗礼盤からすくって3回セシルの頭に掛けた。
「セシル・ラファエラ・グランディエ、わたしは父と子と聖霊の御名によって、あなたに洗礼を授けます。」 
良く眠っていたセシルも冷たい水を頭から掛けられたショックで目を覚まし大声で泣き出した。 
「おめでとうございます。セシルちゃんは今から神の子供です。」
アンドレとオスカルの両頬に口づけしてもう一度祝福をくれた。
「何事も無く終わってよかったな。」 
「ああ。それにしてもセシルの鳴き声は大きい!」  
「親譲りだろう。おばあちゃんがいつも言っていた。おまえは男の子以上だったとな!。」 

4人が声を出して笑った。その声にフランソワとセシルが僅かに目を開けたが又二人共父親の肩で眠りに落ちて行った。

**********

「もう行ってしまうのか?又寂しくなるな…私の春風…」 
馬車に乗る支度をしていたロザリーにオスカルが言った。 
「オスカル様、私達又来ます。」
ロザリーの大きな瞳にはもう涙が溢れている。 
「もし私に何か有ったら…セシルとアンドレを頼むぞ。」
アンドレがベルナールと話している隙を見計らってオスカルが囁いた。 
「そんな事絶対に仰ってはなりません! オスカル様!」 
二人は暫く抱擁していたが、名残惜しそうにロザリーが馬車に乗った。 

ゆっくりと走り出す馬車を寂しそうに見つめるオスカルの肩をアンドレが抱いた。  
「私達は本当に幸せ者だな...私達の幸せを祈っていてくれる人達が沢山いる。」  
「その通りだ。その人達の為にも俺たちは幸せにならなくちゃいけないぞ。」 
「ああ。」
  
二人は春の日差しの中で遠ざかって行く馬車が見えなくなるまで佇んでいた。

洗礼(1)


「今でも夢の様だ…この私が母親なんだな…」  
オスカルは揺かごで眠るセシルの柔らかい頬を優しく撫でた。
アンドレはオスカルをすっぽりと包み込む様に後ろから抱きしめた。  
「速いものだな。セシルが生まれてもう1月。おまえの母親ぶりもなかなかだよ。」  
「ふふっ…おまえは優しすぎる。私が上手くできるのは乳をあげる事くらいだ。おむつの交換も入浴もお前の方がずっと上手だ。」  
「それで十分。俺はお前がセシルに乳をやるのが大好きだ。きっとどの教会の聖母子画よりも美しい。」  
「私と聖母様を比べるなんて恐れ多いぞ!」  
「かまうものか!俺には解るんだよ。セシルの世話をするお前の声がとても暖かで優しい。おまえは世界で一番の母様だよ!」  
アンドレは自分の腕に抱かれていたオスカルをくるりと半回転させて向き合うとオスカルの唇に 口づけした。アンドレの熱っぽい唇がオスカルの唇から耳元へ,そしてゆっくりと首筋に降りて行く。 
「それにこのごろのお前の胸はいつになくふくよかで...あ〜もう最高だ〜!」  
アンドレがオスカルの胸に顔を埋めた。 
「ば…ばか!!何してるんだ!これはセシルのものだ!」  
オスカルは照れくさそうに笑った。 
「これだけ有れば俺とセシルと二人分...」 
アンドレの言葉を遮る様にオスカルの肘鉄砲が軽くアンドレの脇腹に当てられた。 
「余り鼻の下を伸ばすとハンサムが台無しだぞ、ムッシュウ・グランディエ!」    

********

突然居間の床で眠っていたスゼットが吠え出した。 
「どうしたスゼット?」 
オスカルは玄関の扉を開けたが何も見えない。 アンドレが開いた扉の前に立って遠くを見る様に言った。 
馬車だ。 ロザリーとベルナールだろう。」 
「えっ? 馬車の音が聞こえるのか?」  
「ああ。 もうすぐお前にも見えるはずだ。」   
アンドレが言い終わる前に丘の向こうから辻馬車のシルエットが見えてきた。 
「おまえとスゼットの聴覚はたいしたものだな...お前達がいる限り奇襲攻撃の心配は無い。」  
スゼットが誉められたのを喜ぶ様に草の上を嬉しそうに走り回る。


********


辻馬車から降りてきたのはロザリーとベルナール、そしてベルナールに手を引かれて歩く一歳半のフランソワだ。ロザリーはオスカルを見るなり嬉しそうに走り出しオスカルの胸に飛び込んだ。 
「ああ、お久しぶりです!オスカル様!」 
「わざわざ良く来てくれたね!」 
「セシルちゃんの名付け親にして頂ける何て本当に光栄ですわ 。どんな事をしてでも洗礼に立ち会うつもりでしたの!」 
アンドレはベルナールの荷物を運ぶのに手を貸していた。
「疲れただろう?今紅茶を淹れるから座ってくれ。」  
「私手伝います!」 
ロザリーとアンドレが支度をしている間にオスカルはベルナールからパリの情報を聞き込んでいた。 
「なに? あのミラボー伯爵が病死したと?」 
「ああ。心膜炎だったそうだ。しかし毒殺だという噂も有るぞ。」 
「国民議会の議長として二週間しか勤めずに逝ってしまうとはな。」 
オスカルが溜め息を付いた。 ベルナールは足下に座るフランソワの顔をスゼットが舐めて笑わせるのを微笑みながら見ていた。

********

軽食と紅茶で皆が一息ついた後ロザリーがパリから運んできた包みをオスカルに渡した。 
「オスカル様、これは明日の洗礼の為の衣です。名付け親としての私達からの贈り物です。”」  
ロザリーの縫った白い衣は清楚で胸元に聖霊の象徴で有る白い鳩の刺繍が施されている。 
「ああ、とても綺麗だ。ありがとうロザリー。」 
アンドレも小さな衣を手に取りその細かく丁寧な刺繍を指でなぞった。  
「これをセシルが着るのが楽しみだ!」

「こちらの包みはオスカル様のお姉様方からです。」 
「姉上達から?」  
「はい、皆様がセシルちゃんへの祝福の為に縫って下さいました。」  
包みの中から出てきたのは純白のキルトの上掛けであった。 
「お姉様方が復活祭の時にお屋敷に集まられた時交代で刺繍を施して下さいました。」  
キルトの四隅と真ん中の刺繍を指差してロザリーが言った。
「クロティルド様はセシルちゃんへの主の愛と御慈悲を願って十字架とテッポウユリを...」 
左上の隅を指差した。 
「オルタンス様は賢明さと知識を願ってプロビデンスの目を...」  
右上の隅に縫い込まれていた神の全能の目と言われるピラミッドの中で輝く目はフランス人権宣言の版画にも描かれている。なるほど、オスカルとアンドレの娘にはぴったりな祝福だと皆が思った。次は左下の隅。 
「カトリーヌ様はセシルちゃんにどんな時にも臆せず自分の信じる道を進む勇気と栄誉を願ってライオンを...」
「最も、オスカルの娘にその心配は無いだろう!」 
ベルナールの言葉にオスカルがべルナールを睨みつける。 アンドレはその光景が見えなくても手に取る様に解る。オスカルが機嫌を損ねない様にそっと下を向いて微笑みを隠した。   
「ジョセフィーヌ様はセシルちゃんの健康を願ってアスクレピオスの杖を。」  
右下の隅には医学の象徴である蛇の巻き付いた杖があった。他の刺繍よりも簡単なデザインだが刺繍の苦手なジョセフィーヌまでが一生懸命に託してくれた思いにオスカルの胸が詰まった。
「そしてマリー・アンヌ様はセシルちゃんが薔薇の様に美しく気高くなられる事を願って薔薇の花を。」 
キルトの中央部に華麗な大輪の薔薇の花が刺繍してあった。さすがに姉妹の中で一番刺繍の上手なマリー・アンヌだ。
「なんて素晴らしい贈り物だ!早速お前の姉上にお礼の手紙を書かねばいけないな。」 
キルトを胸に抱いたまま言葉の見つからないオスカルを抱き締めてアンドレが言った。 
「そしてもう一つ...”」  
ロザリーが最後の贈り物をオスカルに差し出した。 それには手紙が添えて有った。 アンドレの為にオスカルは声を出してそれを読んだ。 


「最愛なるオスカルとアンドレ、私の知らない世界に生きる愛しい娘と息子。平静の谷と呼ばれる土地に済むあなた方の生活がいつも平静で幸せに満ちているのを祈ります。 私とあなた方の父も何かセシルに贈り物をしたいのですが、何を送ってよいのか見当もつきません。 そこで思いついたのはこの絵です。 オスカルの肖像画を描いて下さった画家さんにお願いしました。 あのときのスケッチと記憶をもとに素敵な絵に仕上げて頂きました。 万が一、私達がセシルに出会う事ができなかったとしても彼女が皆に祝福されて産まれてきたのだと解ってもらえる様に。 そのくらいの事しかできない両親を許して下さいね。  くれぐれも体に気をつけて三人仲良く暮らしてください。 いつの日か又あなた達と会える事を夢に見ています。

父と母より」

オスカルが絵を包んでいた紙を開いて息を飲んだ。 中から出てきたのは一枚の絵だった。 二人がけのソファにならんで腰かけているアンドレとオスカルの手は二人の間でそっと握られていた。二人が着ているのは結婚式で着た礼服とローブだ。その後ろに立っているのはマロン・グラッセを間に挟んだジャルジェ夫妻であった。礼服を着たジャルジェ将軍の手はアンドレの肩に、すみれ色のローブのジャルジェ夫人の手はオスカルの肩に置かれていてマロン・グラッセはお仕着せではなく滅多にきる事の無い若草色のローブで控えめに微笑んでいる。 感激の涙で声が詰まってしまったオスカルの代わりにベルナールが肖像画の事をアンドレに詳しく説明した。 ロザリーも 「奥様から肖像画の話を聞いた時、二人が残して行かれた結婚式での衣装を思い出したんです。恥ずかしながらベルナールと私がパリの画家さんのアトリエで二人の衣装を着てモデルを勤めました。」
「どうもありがとう」
アンドレもそれだけ言うともう 言葉が出なかった。溢れる涙を拭いもせず静かに抱擁する二人を見守る様にベルナールもロザリーの柔らかな手をそっと握りしめた。そんなロザリーの大きな目にも涙が溢れていた。誰一人話す事を忘れた様な静寂の中でスゼットと戯れるフランソワの可愛い笑い声だけが La Petite Chaumière の居間に響き渡っていた。

花と蝶 (4)

オスカルは干し草の俵に寄り掛かって座るアンドレの胸の中で目が覚めた。朦朧とした優しい目覚めの中で体を少し動かすとオスカルの唇にアンドレの喉が微かに触れた。ほんの一瞬ではあったがオスカルの唇に残った彼の皮膚の感触は呼吸が止まる程甘く快かった。オスカルは暫く目を伏せてじっとしていた。このままアンドレの香りに包まれていたかったから。 しかし我慢すればする程オスカルの唇はもう少しだけアンドレの皮膚の感触が欲しくなった。もう一度体を動かしてアンドレの喉に唇で触れてみる。おっと、少しやりすぎた。 
「オスカル、起きたのか?」 
「ああ、お前一晩中私を暖めてくれたのか?」 
「いいや、少しの間あいつの世話をしていた。」 
二人の目の前には未だ足下のしっかりしない灰色の子馬が母親の隣に佇んでいた。 
「おお!もう産まれたのか?何で起こしてくれなかったんだ?」 
「お前があんまり良く寝ていたから…疲れがたまっていたんだろう?」 
確かに此処数日あまりよく眠っていなかった。無意識のうちにアンドレを誘うヴィルジニーを想像してしまったから。 
「さて今日の予定は?」 
「パリに用事がある。馬車を用意してくれるか?」 
「よし、わかった。」 
「できるだけ質素なのを頼むぞ。」 
「もちろんだ。」  
オスカルは身支度をする為に屋敷へと戻って行った。自分の部屋に戻るとそっと舌で唇をなぞる。微かに唇に残ったアンドレの皮膚の味をもう一度確かめたくて…

*********

パリへいく馬車の中でアンドレは少し機嫌が悪かった。
「どうしたアンドレ? お前何を怒っている?」 
「オスカル、お前何で嘘をついた?」 
「な…何を突然?」  
「おまえ子馬を見に来たんじゃないだろう。」 
「そ…それは…」 
「厩の窓の下に飼葉桶が引きずられた後が有った。」 
「それが私だと言うのか!」  
オスカルはとぼけようとした。 
「窓の下はお前のブーツの足跡だらけだった!」 
オスカルはそれ以上何も言えず俯いた。 
「おまえ見てたんだろう、おれとヴィルジニー。」 
「ああ…」 
「そうだろうと思った。何故始めからそう言わなかったんだ?…いいや、俺には解っている。」 
「えっ!!!」  
オスカルは狼狽した。アンドレは私の気持に気がついてしまったんだ。私が嫉妬のあまり覗き見までしてしまったと言う事を!!! オスカルは覚悟を決めた。こうなったら何もかもアンドレに告白してしまおう。その方がどんなにか楽になることか… 
「お前、俺が嫁入り前の若い娘をたぶらかしたりしない様に見張っていたんだろ〜!」  
「お前の言う通り私は…… えっ??今何と言った?」 
「俺を見損なうな。いくら向こうから誘われたって若い娘の純真な心を利用する用な事を俺がする訳無いだろう!」 
あんまりの見当違いにオスカルは全く言葉が出てこない。
「図星だったようだな!」 
アンドレは得意そうだ。 
「ああ。お前の言う通りだ。お前を疑って済まなかった。」 

オスカルはそっと安堵の溜め息を付いた。

***********

降誕祭の休暇が終わる前日にヴィルジニーの家から使いが来た。その時アンドレとオスカルは初めてヴィルジニーが裕福な商家の一人娘だと知った。 
「誠に申し訳有りませんがお嬢様は暇を取らせて頂きます。おかげ様で行儀も一通り身に付けさせて頂きましたので嫁ぐまでの残りの日々を家族と共に過ごしたいとおっしゃって…」  
彼女の身の回りの物を手際よく馬車につみこんでいく。 
「どうもお世話になりました。お嬢様は改めてご挨拶に伺います。あ、それと…この手紙をムッシュウ・グランディエへ…」

二人は暖炉の前の長椅子に腰掛けてヴィルジニーの手紙を読んだ。

 


「親愛なるアンドレ、

貴方には本当に感謝しています。貴方の言う通りでした。私の婚約者に会ったのです。その人はとても優しくて誠実な人で私の事をとても大切にしてくれると思います。顔はあなた程ハンサムじゃないにしろ悪くは有りません。(むしろ私の好みです。)この人なら上手くやって行けそうです。こんな馬鹿な娘を大切にしてくれてありがとう。私の事をたまには思い出してね。貴方は私の初恋の人です。貴方の事を一生忘れません。あなたの幸せを祈っています。

ヴィルジニー

P.S.オスカル様に伝えて下さい。 私が間違っていました。この世には一輪の花だけに蜜を求める蝶もいると…」 
 



「花?蜜?蝶?これは一体何の事だ?」 
アンドレが首を傾げた。 
「気にするな…それは女の秘密だ!」 

オスカルはアンドレの頬に蝶がとまる様にそっと口づけして微笑んだ。


 

花と蝶 (3)

明日から始まる降誕祭の休暇 にほぼ半分の使用人が 生家に帰る 。朝早く田舎に帰る者も多く今夜は皆早くから床に着いたらしく屋敷はとても静かだった。オスカルはどうも周りが静かすぎて眠れず葡萄酒を片手にバルコニーへ出てみた。暖炉の火で火照った体に冷たい空気が心地よい。その時厩の窓から光が漏れているのに気がついた。

「そう言えば今夜あたり子馬が産まれそうだって言ってたな…眠れぬついでだ。アンドレに付合ってやろう。」 着替えをして外套に身を包み外に出て行くとオスカルより一足先に厩へ向かう人影があった。その人影が厩の扉を開けた時、その者の顔が蝋燭の光に照らし出された。 
「ヴィルジニー?」  
オスカルの頭の中で先日の彼女の言葉が頭の中を駆け巡る。
「… 愛してもいない男のもとへ嫁ぐのが定めなら一度でも良い、好きな男に抱かれたい、そのひとの手で女になりたいと思うのはいけない事でしょうか?」 
「冗談じゃない!」 

オスカルは厩には入らず、そのまま裏に回った。飼葉桶を窓の下まで引きずって行って立てかける。 その上によじ登ると丁度厩の中がよく見える。音を立てない様にそっと窓枠を引き上げるとほんの少し窓が開いて二人の会話が聞こえてきた。 
「ヴィルジニー? どうしたんだ、こんな夜更けに?」
馬のお腹をさすってやっていたアンドレが人の気配を感じて振り向いた。 思いつめた様に無言で立ちすくむヴィルジニーを見て手を止めたアンドレが彼女の方に歩いてくる。
「こんな所でうろうろしていたら風邪を…」  
アンドレが言い終わる前にヴィルジニーがアンドレの胸に飛び込んだ。 
「わっ!」 
二人の足が縺れて抱き合ったまま干草の山の上に倒れ込んだ。 アンドレの上に覆いかぶさったヴィルジニーは体中の勇気を振り絞って自分の唇をアンドレの唇に重ねた。 しかし目の前の黒い瞳は驚きで大きく見開かれてヴィルジニーの唇に答えてはくれなかった。それに気がついた時ヴィルジニーはアンドレから離れた。その機会を逃さずアンドレも又飛び起きた。 
「私ってそんなに魅力の無い女なの?」 
「な…何を言っているんだ!君はとても愛らしいじゃないか!」  
「じゃあどうして? 私はあなたが好き。もちろん、結婚してくれだとか恋人にしてくれなんていわないわ。ただ一度で良い…私を抱いてほしいの。」  
ヴィルジニーがそう言うと首の紐をするすると解いた。彼女の全身を覆っていた黒いマントがふわりと干し草の上に落ちて薄い夜着だけに包まれたヴィルジニーの肢体が蝋燭の光の中に浮かび上がった。 
「うわ〜っ!!!」  
アンドレが慌てふためいて干し草の上のマントをつかむとそれで彼女の体を覆った。  
「馬鹿!何を考えているんだ!」  
アンドレのあまりにも期待はずれな反応に気持ちが挫けてしまったのかヴィルジニーはそのまま座り込むと泣き出してしまった。途方に暮れたアンドレはヴィルジニーの背中をさすってやった。
「一体どんな訳が有るか解らないけど…俺で良かったら話してみないか?」 

二人は干し草に並んで腰掛けるとヴィルジニーがゆっくりと話し始めた。 
「それでおまえの婚約者に会った事が有るのかい?」 
ヴィルジニーは首を横に振った。
「それなら早まっては行けないよ。もしその人がとても素敵な人だったらどうする?  その人こそがお前と一生を共にするに値する人だったら? お前はもっと自分を大切にしなければいけないよ。休暇は家に帰るのかい?」「ええ…」 
「それなら休暇中に婚約者にあってみるといいよ。心配するな。俺は何時でも相談にのるぞ。」  
「ありがとうアンドレ。あなたはとってもやさしいのね。私の婚約者もあなたみたいな人だと良いのに…」  
ヴィルジニーはアンドレの頬にそっと口づけして涙を拭きながら微笑んだ。 
「アンドレ…あなたは愛する人がいるの?」
「ああ。」
「ふ〜ん。その人幸せ者ね!」 
ヴィルジニーは勢い良く立ち上がり扉の方に歩き出した。 
「大丈夫。一人で戻れるから。この馬の側にいてあげて。」 
ヴィルジニーはもう一度微笑むと静かに厩を去って行った。

**********

窓の外で一部始終を見ていたオスカルは二人の間に飛び出して行く機会を逃してしまった。ヴィルジニーが屋敷の中に消えて行ったのを確かめてから何食わぬ顔をして厩の扉を開けた。 

「オスカル?どうした…?おまえ体がこんなに冷たいぞ!」  
オスカルに毛布を掛けその上から背中をさすった。
「もうそろそろ子馬が生まれる頃かと思って…」  
二人は並んで腰掛けアンドレはオスカルを暖めようと毛布の上からオスカルを抱き締めた。ヴィルジニーの言う通りだ…お前は本当に良い奴だな…そして私はしあわせものだ… オスカルは心の中で呟いた。アンドレの温もりで心も体も暖かくなってくる。オスカルはそっとアンドレの胸に頭を預けた。 

「オスカル…」 
その声に顔を上げると目と鼻の先にオスカルを見つめるアンドレの瞳があった。心臓の弾けそうな高鳴りを押さえてオスカルはその一つしか無い黒瑪瑙の瞳を見つめ返した。今ならアンドレに唇を奪われてもかまわない…いいや、それが何よりも欲しい…  
「…お前、鼻の頭に泥が付いてるぞ!美人がだいなしだ!」  
アンドレがケラケラと笑いながらハンカチを取り出してオスカルの鼻をこすった。
「へっ???」 
二人の会話を聞き逃さぬ様に厩の窓に顔を近づけ過ぎたらしい…  

静かに干し草を食べている馬を見つめながら、
「子供の頃を思い出すな…」
アンドレが懐かしそうに目を細めた。まるで20数年前の二人を見ている様に。
「そうだな。昔もこうして子馬の産まれるのを二人で見たな。」 

オスカルも目を伏せて黒い巻き毛の少年と戯れる懐かしい子供の頃の自分を見ていた。
 




花と蝶 (2)

もうそろそろ昼を回った頃だろうか? 聞き慣れたノックの音と共にアンドレが銀色のトレイを片手に入って来た。 

「オスカル、おまえ具合が悪いのか? 朝食も昼食も食べてないだろう? 紅茶とスコンスを持って来たぞ。」 オスカルの返事を待たず紅茶の仕度をしてスコンスの小皿をテーブルに置いた。そのアンドレの背中目掛けてオスカルは枕を投げつけた。 
「どれもこれも皆おまえのせいだ!」 
アンドレの背中に勢い良くぶつかった枕から羽毛が舞い上がる。  
「何だ、やけに荒れているな…まあ、それだけ元気が有るのなら大丈夫だ。 安心したぞ!」  
「そもそもおまえが皆に優しすぎるからいけないのだ!」 
オスカルは思った。アンドレのその優しさこそ彼の魅力の一つなのに。なんて私は天の邪鬼… 
「何を一人でブツブツ言ってるんだ?」 
「お前こそ薔薇の蜜でもレンゲの蜜でも何でも良いのか?」 
「えっ???」  
「な…何でもないっ!」 
オスカルがそっぽを向いてスコンスをほおばった。 
「今日のお前本当におかしいぞ。 熱でもあるのか?」 
アンドレがオスカルの額に自分の額をくっつける。 一つしか無い黒曜石の瞳がオスカルの目の前できらめいている。オスカルの心臓が爆発しそうに高鳴って思わず後ずさりしてしまった。 
「熱は無さそうだな…?」  
「当たり前だ!それより馬を用意してくれ。ムシャクシャする…」  
「はいはい。ご機嫌斜めのお嬢様!」  
オスカルがアンドレに向けて投げた枕が一足先に閉じられた扉に当たって床に落ちた。

********

林の中を二人で馬を駆って走ると湖のほとりに出た。 静かな冬の午後は風一つ無く鏡の様に平静な水面を鴨の番が並んで作る波紋だけが湖上を揺らせていた。冬だというのに太陽の光が眩しい。  
「少し休もう。」
  
アンドレが大きな樫の木の根元に毛布を広げてそこにオスカルを座らせた。そしてオスカルの為に用意したピクニックバスケットの中からパンやチーズに果物等を取り出してオスカルの前に並べた。 
「ワインは白で良いか?」 
「ワインまであるのか? おまえは本当に用意が良いな。」 
「今日は少しでもお前に食べてもらいたかったから…」 
「ありがとう、お前も一緒に食べてくれ…」  
二人はとりとめの無い話をしながら食物をつまんだ。 オスカルの婚約騒動も治まったせいかこの頃のアンドレはとても穏やかで今までにも増して献身的だ。  

「ちょっと膝を貸してくれないか? 少し休みたい…」  
子供の頃から何度となくこうして膝を借りて眠ってきた。 でも今は眠る為ではなく、ただ彼の体の温もりが欲しくて。 
「寒くないか?」 
アンドレが自分の上着を脱いでオスカルにそっと掛けた。 上着からほのかに漂う懐かしい香りは乾ききった土に染み込んでいく春の雨の様に快くオスカルの心に染み込んでいく。 アンドレの香りに満たされて何故か胸が痛む。 
「おいオスカル、どうした?何処か痛むのか?」 
アンドレが心配そうにオスカルの顔を覗き込む。上半身を起こしたオスカルはアンドレの胸にしがみついて顔を埋めた。
「しばらくこうさせてくれ…」 
オスカルは心の中で叫んでいた。
「痛いのはこの心だ…お前を誰にも渡したく無い…このドロドロとした熱い思いは愛なのか…?」  
オスカルは小さな声で囁いてみた。 
「アンドレ…愛している…?」  
「オスカル?何か言ったか?」  
オスカルは慌てて言った。 
「いいや、何でもない。今日の私は本当にどうかしている…」  
アンドレはそれ以上何も聞こうとはしなかった。 

「そろそろ屋敷へもどろう。」 
二人は又馬に乗り、昼下がりの林の中で馬を走らせた。 

花と蝶 (1)

オスカルはカーテンの間から差し込む朝日の光に目が覚めた。久しぶりの休暇。 ...そうだった。昨日はアンドレと二人でアントワネット様に謁見して…帰宅してからも何だかアンドレと離れたくなくって夜遅くまで酒の付き合いをさせてしまった。あいつはもうとっくに起きているだろうな…

毛布を肩にかけバルコニーに出て行くと冷たい空気にオスカルの吐息が白く見えた。彼女の視線は無意識のうちに厩の方を見ていた。思ったとおりそこに干し草の俵を運ぶ彼の姿があった。  力仕事をしているためか12月のひんやりと冷たい空気にまるで気がつかない様にアンドレはシャツ一枚だ。 オスカルがアンドレに声をかけようとした時一人の女中がアンドレの方に向かって歩いて行くのが見えた。 

「見慣れぬ娘だな…?」 
その娘はアンドレにはにかみながら声をかけると彼にタオルとグラスの水を差し出した。アンドレはいつもの屈託ない微笑みで礼を言うと、タオルで額を拭き、グラスの水を飲んだ。二人は一言二言、言葉を交わしたがアンドレはもう一度娘に礼を言ってグラスとタオルを返すと又俵を運ぶ作業に戻って行った。只それだけのことだった。しかしオスカルがバルコニーを離れようとした時その女中の動作にオスカルの体が硬直した。 アンドレが見えなくなったのを確認した娘は手に持っていたタオルに頬ずりしたのだ。目を伏せてアンドレの香りを胸一杯吸い込んだ娘はそのタオルを胸に抱き締める様に又歩きだした。

オスカルは逃げる様に自分の部屋に駆け込んだ。 
「何故私の心がこうも揺さぶられるのだ!」 
アンドレに恋をする娘はあの女中が初めてではないだろう。でも今は何も考えられない。急いで着替えを済ませて階段を下りて外へ出て行くと さっきの娘が裏庭で洗濯物を干している所だった。

「お早うございます、オスカル様。」 
娘は思ったより若く栗色の髪に褐色の瞳が愛くるしい。
「おまえの名は?」 
「ヴィルジニーと申します。行儀見習いの為奥様付きの女中として半年前からお世話になっております。」 
オスカルは自分の口が勝手に動いているのに気がついたがそれをとめることができなかった。 
「おまえはアンドレを愛しているのか?」  
何をぶっきらぼうに…そう思ってももう遅い。 しかし若さ故の素直さだろうか。ヴィルジニーは臆せずオスカルに答えた。
「オスカル様に見られてしまったのですね。お恥ずかしい所を見せしてしまいました。 はい、オスカルさま。私はアンドレが好きです。でもあの人と一緒になりたいなどとは思っておりません。」 
「では何故?」
ヴィルジニーはもっていた洗濯物の籠をおろして自分より頭一つ分背の高いオスカルをゆっくりと見上げた。
「オスカル様、私には親に決められた婚約者がおります。ここでの行儀見習いを終えたらすぐ嫁ぐ事に… 愛してもいない男のもとへ嫁ぐのが定めなら一度でも良い、好きな男に抱かれたい、そのひとの手で女になりたいと思うのはいけない事でしょうか?」 
オスカルはヴィルジニーの一途な言葉に何と答えてよいのか解らなかった。頭の中に一時は自分の婚約者だったジェローデルの顔が浮かぶ。もし自分が愛してもいない彼と結婚しなければ行けなかったとしたら? オスカルの頭の中にアンドレの笑顔が突然浮かび甘い衝撃が胸を貫いた。オスカルの沈黙を同意と考えたのだろう、ヴィルジニーはオスカルに微笑んだ。オスカルは咄嗟に 
「それでアンドレの気持ちはどうなんだ?」 
「解りません。でも男の人と私達女とは違います。」 
「それはどういう事だ?」 
まるでヴィルジニーが重大な秘密を打ち明ける様に伏し目がちに囁いた。
「蝶が渇をいやすのに花が薔薇であろうとレンゲであろうと蜜に変わりは無いのです。」  
「えっ?」  
「オスカル様、男は女の誘いを断る事は先ず有りません!」  
オスカルに目配せした。 
「そ…うか…」 
「オスカル様も私の願いが叶うのを祈ってくださいませね!」  
屈託なく笑う娘にオスカルは答えた。 
「ああ。お前の為に神に祈る。」
 
何だってそんな事を言ったのか自分でも解らない。アンドレの胸に抱かれる娘の姿を想像しただけで体中の血が沸騰してしまいそうなのに。

自分の部屋に戻ったオスカルは寝台に倒れ込む様に横になった。枕を握りしめながらその名を呼んでみた。
「…アンドレ…」


 
 


Aurora Borealis

「アンドレ・グランディエを愛しているのですか?」 
ジェローデルの言葉が頭から離れない。 オスカルは戸惑っていた。フェルゼンへの思いは愛だったのかもしれない。でも今この心を疼かせているのは何か別の思いだった。 この頃無性にアンドレが気になって仕方がない自分がもどかしい。

オスカルはそっと目を上げて隣の机で書類を目にしているアンドレを盗み見た。オスカルが見慣れていた、人なつこく笑うあどけない幼なじみの少年はいつの間にかもういない。 そこに居るのは、彼女一人を見つめ愛していると言う逞しい一人の男だった。オスカルは無意識のうちにアンドレをまじまじと見つめていた。  端正な顔立ちがつややかな黒髪に縁取られ, 輝ける青年神アポロの像を思わせる。 良く通った鼻筋と今はもう一つしか無い闇の色の瞳はいつも穏やかだ。 あの夜、かいま見た怖い程激しい情熱は何処に隠されているのだろうか? そしてあの熱っぽく弾力の有る唇…オスカルは今すぐにでもあの広い胸に飛び込んであの唇の感触を確かめたい 衝動にかられた。 知らぬ間にオスカルの心臓は鼓動を早め顔が赤らんでいく 。 その時ふと顔を上げたアンドレと目線が有ってしまった。 
「どうした、オスカル?」  
アンドレは半分愛おしそうに、半分不思議そうに尋ねた。
「な…なんでもない!」  
まるでアンドレに心の中を覗かれた様な気がしてオスカルが狼狽した。
  
「どうだ、そろそろ支度しよう。」 
「えっ?」 
「何だ、忘れてたのか? 今日はアントワネット様に謁見する予定だろう。」 
「ああ、そうだった。」 
アンドレとオスカルが暴徒に襲われたと聞き王妃は二人を心配していたのだ。 着替えと馬車の用意をする為にアンドレが司令官室の扉を閉めて出て行ったのを確認してからオスカルは大きく溜め息をして軍服の襟を緩めた。

***********

宮殿に着いたオスカルは自分が今まで どれだけ無頓着であったか気がついた。もの静かで地味だと思っていたアンドレはなかなか目立つ存在であったのだ。長身で均整の取れたアンドレの優雅な物腰はどんな貴族の男に比べても引けは取らない。きらびやかに着飾った貴族の間に素朴なお仕着せはかえってアンドレ自身の魅力を引き立てている。現にアンドレは宮廷の女性達から熱い眼差しを注がれていた。 その中の何人かは大胆にもアンドレの耳に唇をつける程接近して何か妖しげに囁いたが、その度にアンドレは上手く躱し て、その代わりに完璧な微笑みで女性の手を取り口づけする。傲慢な貴婦人達の自尊心を傷つけない様に躱すのはなかなかの技が必要だ。それをアンドレはいとも簡単そうにやってのけてしまう。 
「おまえいつの間にそんなに女性の扱いが上手くなったんだ?」 
「なにを馬鹿な事言っている? おまえと一緒に宮廷に上がる様になってもう20年近くなる。最も俺も年だな。この頃は俺にかまう女性も大分減ったぞ。」 
屈託なく笑うアンドレは昔と変わらず悪戯な目をしている。 
「じゃ俺は此処で待っている…」  
アンドレはいつもの様に王妃の広間に続く扉の外で立ち止まった。しかしオスカルは咄嗟に口走ってしまった。 「アンドレ、今日はおまえも一緒に来てくれ。」  
アンドレが目を見張った。 
「オスカル?」
オスカルが少し口実めいた返事をした。
「な〜に、アントワネット様がお前の事も気にかけてくださった。おまえもお礼をしたいだろう?」 
「ああ…?」  
アンドレはオスカルの今までと違う指図に微かに躊躇ったがオスカルに従った。 オスカル自身も何故アンドレを王妃との謁見に引っ張りだしてしまったのか解らない。 ただアンドレが扉の外に佇みオスカルの帰りを待つ間、彼の周りにまとわりつこうとする女達の事を考えると居ても立っても居られなかった。  

その時心の中にちらちらと広がる青白いオーロラの様な思いが嫉妬だと言う事をオスカルは未だ知る由がなかった。



Samson and Delilah (English)

Samson and Delilah (English)

Her beautiful face shone in the candlelight
Casting a long shadow in the small bedroom

With her pearl skin and the eyes of deep Mediterranean Ocean -
she is the most magnificent creature in the world

"Why all the candles?" Oscar smiles as she removes her scarf
and let her long golden hair flow freely

"I wanted to see you - so I can memorize every detail…"

It breaks my heart to see a sad frown form between her perfect eye blows
'Cause I know it's a prelude to her tears

"…Is it close?" Her tears are now falling from her dark blue eyes

"Yes, I think it's any day now. My eye sight is failing..."

I wrap my arms around her slender body and hold her close as she cries in my chest

"I am the damned Delilah. I cut off your hair and now taking away your eye sight..."

"I've told you many times before and I will tell you now -it was not your fault"

I gently wipe away her tears.

"Please... smile for me. That's how I want to remember… My beautiful Oscar.”

“Now let me see you close…
Like Samson did with Delilah, I want to fall asleep on your knees tonight…”

Samson and Delilah (Japanese)

Samson and Delilah (Japanese)

オスカルの美しい顔が蝋燭の光に浮き上がる
か細い影を二人の寝室におとしながら

真珠の肌に地中海よりも蒼い瞳
おまえは何よりも世界で一番美しい

「何だってこんなに沢山の蝋燭を?」

オスカルが スカーフをほどく
黄金の髪が締まった腰に流れ落ちる

「おまえがよく見たいんだ…
おまえの全てを記憶に残せる様に…」

オスカルの眉間の小さな皺をみる俺の胸がいたむ
それは何時だって涙のプレリュード

「もう…すぐなのか?」
蒼い瞳から涙が零れ落ちる

「ああ、もう数日だろう。霞がどんどんひどくなってきた。」
オスカルの華奢な体を俺の胸に引き寄せる
俺の胸の中でオスカルが声を殺して嗚咽する

「私はデリラだ…おまえの髪を切り、
今又おまえの視力さえも奪ってしまう…」

「違うよ… おまえのせいじゃないんだ…」
そっとオスカルの涙を拭い取る

「さあ、笑っておくれ。そうやっておまえを覚えていたいんだ
俺の美しいオスカル…」

「おまえの全てを良く見せてくれ…
サムソンとデリラの様に今夜はおまえの膝で眠りたい…」


Mea Culpa (私の罪)

Mea Culpa (私の罪)
 

どのくらい馬を駆っただろうか。がむしゃらに林を走りぬけた オスカルの前には小さな農村が広がっていた。アンドレと共にパリで 暴漢に襲われたのは2日前。命は取り止めたと言えアンドレは未だ熱にうなされていた。そんなアンドレの姿を見ているのが居たたまれず屋敷を飛び出してしまった。

冬の夕暮れは早く、もう薄暗くなりつつ有る中でぽつんと佇む小さな教会のステンドグラスの窓から淡い灯りが洩れていた。まるで灯りに惹かれる様に馬をつないで教会の扉を開けると人の姿は見えず、ただ祭壇の蝋燭の光だけが揺らめいていた。その時懺悔室の扉が開き農民らしい男がでて来た。オスカルは咄嗟にその男と入れ違いに懺悔室に入り扉を閉めた。

小さな部屋の中で跪き祈りを捧げると小窓のカーテンの向こうから人の気配がした。
「父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」  
オスカルが十字を切った。するとカーテンの向こうから静かで暖かい声が返って来た。 
「神の慈しみを信じ、あなたの罪を告白して下さい。」  
「私が至らない為に私の従僕兼護衛の者を傷つけてしまいました。」 
「傷つけるとは?」 
「はい、私達の馬車が暴漢に襲われたのです。」  
オスカルがアンドレの事と2日前の出来事を神父に説明した。
 
「それはあなたのせいでは有りません。あなたが手を下したわけでは無いのですから。」  
「しかる事ながら,彼の安全は主人として私の責任です。」  
「でも彼が従僕兼護衛ならば,あなたを守るのが彼の仕事ではありませんか? その方は立派に使命を果たしたのであって,それは災難ではあっても、あなたの罪とは言えません。」  
「神父様,私の罪でないのなら何故私の心はこんなにも苦しいのでしょうか?」   
神父はその慈悲深い声でオスカルに答えた。 
「それはあなたがその方を愛していらっしゃるからです。」  
「私が彼を愛している?」  
オスカルの声は驚きを隠せなかった。  
「はい。 その方の事を話すあなたの声は深い愛に満ちています。」 

その後神父に何を言ったのかオスカルは覚えていない。ふらふらと懺悔室を出て知らぬ間にまた馬に乗りようやく屋敷に戻ったのはもう夜更けであった。

帰宅後,夕食もとらず自分の部屋にこもったオスカルは一人暖炉の炎を見つめていた。オスカルは自分の心の中の声に耳を塞ごうと葡萄酒を立て続けに飲んだ。

「おまえは解っているのだろう。おまえの罪は彼を傷つけた事ではない。 おまえの本当の罪は彼のおまえに対する深い愛を知りながらそれを見て見ぬ振りしている事だ。彼の愛を受け止める事ができんのなら彼を手放し自由にしてやるが良い。」

「私には解らない。この自分の気持ちが何であるのか。」
何本目かの葡萄酒を飲み干したオスカルは一人囁いた。

“…mea culpa, mea culpa……mea máxima culpa…” *
(それは私の罪,私の罪,私の最大の罪… ) 





あとがき:
* mea culpa は懺悔の祈りの一部です。
いつもの事ですがタイムラインが前後してすいません。妄想が浮かぶに任せて書いているので...

Saber Arch ~光の並木道~

Saber Arch ~光の並木道~

「さあできましたよ,オスカル様。」
ロザリーはオスカルの手を取り姿見の前まで彼女を導いた。
生まれて二度目に着る ローブはオスカルの瞳の様な蒼。 ロザリーが心を込めて縫った絹とリネンの英国型でオスカルの細いウエストを強調していた。ローブに慣れていないオスカルの為にパニエではなくポケットフープで形を整えてあり, 着心地もさほど悪くは無い。 胸元の開き具合も控えめでいつも軍服に隠されていた白い肌は今も シャンテイリーレースの下にある。 
「とてもお美しいですわ」 
ロザリーがオスカルの緩やかに結い上げた髪に蒼いボヘミアンクリスタルの髪飾りを挿した。 
「これはお屋敷に居たときに奥様が私に下さったものです。もし良ければお使いになって下さい。」 
「母上が?」 
「はい、お屋敷に来て初めてのクリスマスに。 それ以来大事にしまっておりました。」  
「そんな大切な物を身につける訳には…」 
「いいえオスカル様。 今日の日にオスカル様に使って頂ければ光栄ですわ。」 
ロザリーの大きな目からもう涙が溢れ出した。 
「オスカル様、どうぞアンドレとお幸せになって下さいね。」 
「ありがとう, ロザリー。」

その時控えめなノックとともにベルナールの声がドアの外から聞こえて来た。 
「準備はどうだ? そろそろ時間だ…」
扉が静かに開き蒼いローブに身を包んだオスカルが少し戸惑い気味に足を踏み出した。
「ベルナール,たのむぞ。」 
「ああ,まかせろ!」
白薔薇の花束 をオスカルに手渡すベルナールの腕にそっと手を預けた。本来ならば花嫁のエスコートは父親の役目だ。 しかし今は革命軍に寝返ったオスカルと親王貴族の父は敵になってしまったのだ。王家の手前自分の両親には一生会えないかもしれない。 
「父上、母上,親不孝をお許しください。でもこれは私の信ずる道です…」

ベルナールが聖堂に続く扉を開けると両側の ステンドグラスからさし込む光が信者席の間の通路に敷かれた白い布をプリズム色に染めていた。ベルナールのエスコートでプリズムの絨毯の上を ゆっくりと歩く。信者席にはロザリー、兵舎で働く料理人やもう何年も前に暇を取り嫁にいった筈のオスカル付きの女中まで来ていた。何人かはオスカルの知らない者もいたがそれはアンドレの縁のものだろうか? 祭壇の前に立つ神父様の横に佇むのは紺地に金の刺繍をあしらった礼服を着たアンドレであった。 アンドレの表情はとても穏やかで優しく,まるでこの世で一番美しい物を見るかの様にオスカルを見つめていた。オスカルはその笑顔を見ただけで今までの苦しみや悲しみが心の中から流れさる様な気がした。 
「そうだ。永い事私だけを見つめて,私だけを愛して,私の側にいてくれたアンドレ,私の最愛の人。これから何が起きようと私に悔いは無い。二人でなら何でも克服できる確信があるから。」

ベルナールがアンドレの隣にオスカルを導くと二人の手を重ね合わせた。主への祈りの後神父様が二人の誓いに立ち会った。
「私たちは夫婦となって、順境においても逆境においても、病気の時も健康のときも、豊かなときも貧しいときも、生涯愛と誠実を尽くすことを誓います。」
「主よ,夫婦と成った二人にご加護を。そして信者の皆様,この二人に祝福を。」
ふたりは口づけを交わし夫婦として初めての 聖体拝領を一緒に受けた。二人で並んでニーラーに跪きながら神に祈りを捧げているとアンドレがオスカル に微かに囁いた。
「愛しているよ…俺は今世界中で一番幸せだ… 」
子供の時を思い出す。いつも二人でお祈りをする振りをして神父様や大人の目を忍んではお互い に囁き合って退屈しのぎをしたものだ。又あの頃の幸せで平和な日々に包まれた様な気がする。
「私もだ。大分遠回りをしたけれど…私もやっと目の前に有った幸せを見つけ出す事ができた…」   
オスカルも出来るだけ神妙な顔をして祈りを捧げる振りをしながらアンドレ に囁いた。

最後の祈りが終わると二人は神父様の後を付いて皆の祝福を受けながらもう一度プリズムの絨毯を歩く。 その時一番後ろの信者席の女性に目が留まった。ごく普通の木綿の服を着た女性はオスカルの様な金髪に白いレースのマンティーヤをかぶっていて顔は見えない。その女性の側を通ったときオスカルの鼻を懐かしいラベンダーの香りが包んだ。 
「まさか?」 
オスカルが立ち止まるとマンティーヤの下から現れたのは愛する母上の優しい笑顔だった。
「母上!」 
オスカルの手を取ってジャルジェ婦人が言った。 
「オスカル…愛しい私の娘。ロザリーからあなた方の事を聞いてどうしてもあなたの花嫁姿が見たいと…ロザリーに無理を言ってしまいました。」 
家を裏切った娘の為に平民の装いをしてまで来てくれた母の優しさにオスカルの胸が痛かった。 その気持ちを察してか 
「オスカル,そのような顔をするのではありません。この装いも仮装舞踏会の様で楽しくてよ。 いつも辛い思いをして男の道を歩いてきたあなたが今こうして女としての幸せを掴んだ事が私には何よりも嬉しいのです。それはあなたの父も同じです。」 
「父上も? 」
「もちろんですよ。 王家の手前,公にはできないにしろあなたの父も二人が無事で幸せである事をとても喜んでいるのです。」 
そしてジャルジェ婦人がアンドレの方を向いて微笑んだ。 
「アンドレ…私達は昔からあなたを我が子同様に愛しておりました。今まで以上にあなたに苦労をかける様になるでしょうがオスカルを宜しく頼みます。」 
「奥様…」  
ジャルジェ婦人の心使いにアンドレの胸は一杯で声が詰まった。
「さあ,お行きなさい。二人で選んだ道を…」  
それを合図に神父様が教会の石階段に通ずる大きな扉を開けるとオスカルが目を見張った。 


教会の前には2列に並んだ衞兵隊の皆がいた。 先頭に立つアランが代表で言った。 
「おめでとうございます、隊長とアンドレ。 俺たちからの祝福を受けて下さい。」 
アランの号令と共に衛兵達が向き合い腰のサーベルを抜いた。

”Present Arms!”

衛兵達がサーベルを前方に高く掲げた。向き合った衛兵達のサ−ベルが先だけかち合った。 
「私にサ−ベルアーチの名誉をくれるのか? でも私は軍服を着ていない。」 
サ−ベルアーチは将校の結婚式のみに与えられる名誉で将校が軍服でなければならない。
「あの…これを…」 
いつの間にかロザリーが金色のサッシュを持って立っていた。 
「全部とはいきませんがこれでオスカル様も軍服の一部をお召しになれます。」 
オスカルのウエストにサッシュを巻き後ろで結んだ。 隣で微笑みながら見ているアンドレに 
「どうやらおまえも一枚噛んでいた様だな?」 
「なんのことだ?」 
とぼけるアンドレをよそにオスカルがアランに言った。 
「ありがたくサ−ベルアーチを頂くぞ。でも私の尻は叩くな! 私は軍事家庭の出身だ!」  
普通は軍事家庭に迎えられる花嫁の尻を皆がサーベルの峰で叩いて祝福するのが習わしだ。しかし生まれも育ちも帯剣貴族のオスカルには今更のこと。 
「承知しております。」  
アランが不気味ににやりと笑った。  そしてアンドレに手を取られて二人はゆっくりとサ−ベルアーチの下を歩いて行く。頭の上に掲げられたサーベルは太陽の光を反射してきらきらと輝いた。 
「綺麗だ…まるで光の並木道だ…」
すると突然サーベルがアンドレの尻に打ちおろされた。 ぱしっ!  
「痛え!」 
アンドレが悲鳴を上げた。  
「軍事家庭へようこそ!」 
「な…なんだ?」 
ぱしっ! 
「隊長には約束したけどおまえの事は約束してない!」  
ぱしっ! 
「畜生アンドレ! 俺たちの隊長を独り占めしやがって!」 
ぱしっ! 
「俺たちの分まで隊長を大切にしろよ!」  
ぱしっ! 
「隊長を不幸にしたら俺たちが只じゃおかねえ!」 
ぱしっ! オスカルは大声で笑いながらアンドレの隣を歩いて行く。 
「お手柔らかに頼むぞ! アンドレは私の大事な夫だ!」  

オスカルの言葉は返って衛兵達を妬かせアンドレの尻に打ちおろされるサーベルに力が込められた……  

“Just say Yes”

“Just say Yes”

「アンドレは一体何処をほっつき歩いているんだ!!」 
オスカルは病院の寝台の上で拗ねていた。 オスカルは今の所は約束を守って神妙にしている。 ロザリーは毎日来てくれて何かと世話をしてくれているが,当のアンドレは怪我が良くなってくると何をしているのか昼間は余り部屋に居たためしがない。 じっとしているのが退屈で仕方ないオスカルにしてみればアンドレにほったらかしにされている事が面白く無い。  
「死ぬまで一諸に居てやるぞと言ったのは何処のどいつだ!」
そして3日前用事があって暫く留守をすると言ったまま音沙汰がない。 ロザリーは気を使って何とかオスカルの機嫌を治そうと頑張っていたが流石のロザリーも今はただアンドレの帰りを祈っていた。 

*******

その日の夕方ようやくアンドレが戻って来た。 
「アンドレ!!!」
オスカルはアンドレの顔を見るや否や寝台から跳ね起きてアンドレの首に飛びついた。 
「オスカル!ごめんよ、寂しい思いをさせて。」 
オスカルはアンドレの広い胸に顔を押し付けて懐かしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。 
「一体何処へ行ってたんだ? 心配したぞ。」  
「大丈夫、もうずっと一緒にいるよ。訳は後で話す。それより少し散歩でもしないか? 今着替えを手伝ってやるよ。俺もちょっと体を拭きたい。一日馬車に乗っていたから。」 
オスカルはますますアンドレがどこで3日間を過ごしたかが知りたかったが、今何を言ってもアンドレが答えてくれないのが解っていた。 

井戸水で汗と埃を流したアンドレは着替えを済ませて戻って来た。微かに漂うベルガモットの香料が爽やかだ。アンドレがオスカルの手を取って庭園に出ると二人は噴水のふちに腰を下ろし夕焼けで朱色に染まったパリの空を見上げた。 
「きれいだ…」 
「本当に綺麗だ。明日も良い天気だ。」 
アンドレがふふっと笑った。 
「何が可笑しい?」
「俺は夕焼けじゃなくてお前の事を言っていたんだ。」 
そっとオスカルの耳元に口づける。

「これをおまえに……」  
何処に隠し持っていたのかアンドレは一輪の白薔薇をオスカルに差し出した。オスカルは嬉しそうにそれを受け取ると花弁を一枚噛んだ。 
「相変わらずだな。 薔薇の花弁をたべるのはパリ広しと言えどおまえだけだろう…」 
「…余計なお世話だ!」
白薔薇の茎には紅いリボンが結んである。その結び目で何かが夕日の光を受けて輝いた。 
「これは…?」  
紅いリボンを解くと銀色の指輪が光っていた。すかさずアンドレはオスカルの前に向かい合う様に跪いた。
「オスカル…こんな俺で良かったら一生を共にしてくれるか? 俺は何も無いけれどおまえを愛する事では誰にも負けない。 お前の為ならいつでもこの命を投げ出そう。 愛している…よ。」  
オスカルの手の甲に口づけした。 オスカルは蒼い眼を潤わせて言った。 
「おまえはもう解っているだろう。私の答えは "Oui" だってことを。 おまえを愛している。おまえじゃないとだめだ。」  
そして自分も跪きアンドレをしっかりと抱き締めた。  
「でもそう死に急がないでくれないか。私の為に命を投げ出すよりも私の為に生きろ。いいな?」 
アンドレは何か言おうとしたがオスカルの唇がそれを遮った。

"Just say Yes…"

銀の指輪がオスカルの薬指できらりと光った。

**********


「……それでおまえは3日間なにをしていたんだ?」 
2人は病室の寝台に抱き合って横になっていた。 
「俺達の土地を見にいったんだ。」 
「私達の土地?」
「ああ、コートダジュールに面した村で Vallée de Sérénité (Serenity Valley - 平静の谷)にある。La Petite Chaumière (Tiny Cottage - 小さな田舎屋敷) と呼ばれる屋敷は小さいが敷地はなかなか広く厩や果樹園,それに小川も有る。 そこはフランスアルプスから流れ出る綺麗な水が豊富だし、海に近い温暖な土地だ。 おまえの病気を治すには最適だと思う。」 
「おまえは本当に何をするのでも手際がいいな。 私は一銭も持たずに屋敷を出てパン一つ買う金も持ち合わせていないと言うのに。」
「俺は結構貯金があったんだ。屋敷で奉公していれば衣食住賄って貰えるし衞兵隊の給料もあったからそのほとんどをアメリカ合衆国銀行に投資してた。フランスの銀行よりも配当金は多いし。 おまえがジェローデルと婚約した時俺は辛くて一時は屋敷を出ようかとも思った。 その時はその金でどこかに土地を買って葡萄でも栽培しようと思ってたから。」 
「良かった…おまえを失わないで…」  
「安心しろ…結局俺はおまえから離れられなかった…。そして今回出動が決まった時おまえが民衆側に立つのは解っていたから当座の資金が必要だと思って債券を少し現金に変えておいたんだ。 銀行に行ったらたまたま貴族が亡命資金欲しさに La Petite chaumière を二束三文で売りに出していたから思わず買い取った。そして此処数日そこへ出向いて準備を整えて来たんだ。」 

「それで何時私はその新居にいけるのだ?」 
オスカルはアンドレの有能さに感謝した。自分が理想のもとに意思を貫けたのはアンドレが全てに至るまで手配してくれたから。国王陛下の命令に背いてしまった今はジャルジェ家からできるだけ遠ざかり災いのかからぬ事を祈るしか無い。 
「そうだな,おまえの体力がもう少し回復したら。多分来月頃。」  
「見てろ、それまでにうんと良くなってみせるぞ!」
「そうこなくっちゃ!」 

…その夜オスカルはアンドレの腕に包まれて眠った。 青く冴え渡ったコートダジュールの純白の砂浜で 二人並んで馬を駆る夢を見ながら…

夫婦喧嘩は……  Late July 1789

アンドレの状態が安定したのを見計らって二人はパリの病院に移る事に成った。 普通なら労咳患者は隔離するのだがアンドレが却下。どちらにせよこの二人を離すことはできまいと特別に許しが出た。二人は同室できる様に計らいができた。

まだ背中の傷が癒えていないアンドレの為にアランが馬車を調達してくれた。3人で馬車に乗り込んでしばらくするとオスカルがひどく咳き込んだ。 
「大丈夫かオスカル!馬車を止めてくれ!」 
馬車を止めて背中をさすってやるアンドレの余りにも辛そうな顔を見てオスカルの心が痛んだ。 
「すまんアンドレ。おまえを騙すつもりはなかった。ただおまえのその顔を見るのがたまらなかったんだ。」  「おまえに何か有ったら俺は生きてはいないぞ! それに…」 
アンドレがポケットから新聞の号外を引っ張りだした。 
「…金髪の女将校バステイーユ襲撃で民衆を勝利へと導く。男装の麗人ジャルジェ准将は銃弾をかいくぐり最前線で戦闘指揮…民衆から勝利の女神と讃えられる…」  
「な…なんと!」
オスカルが紙切れをアンドレの手から引ったくった。それにはご丁寧にオスカルが最前線で旗を翻す絵までかかれている。 
「アランに任せるのではなかったのか? おまえの向こう見ずには程がある!」
アンドレの声から怒りと苛立が伝わってくる。 弁解の余地も無くオスカルは俯いた。 見るに見かねてアランが口を挟む。 
「隠し事はおあいこじゃあないのか?」  
「えっ?」
オスカルが顔を上げて アンドレに尋ねる。  
「何の事だ?」
今度はアンドレが下を向く。 
「アンドレ,俺に言わせるつもりか?」 
「アンドレ???」 
オスカルの口調が幾分強めになって来た。とうとう諦めてアンドレが重い口を開く。
「俺の右目…もう時間の問題なんだ。」 
突然の言葉の意味が分からずオスカルがアンドレを呆然と見つめる。 
「だんだん霞が酷くなっている。見えなくなるのはもう時間の問題だって。」  
見る見るうちにオスカルの瞳が曇りだし涙がこぼれる。 
「何故黙っていた! ああこれもすべて私の責任だ!」  
「おまえのせいじゃない。 だから言えなかった。おまえを苦しめたく無かった。」
アンドレはオスカルを強く抱き締めてオスカルの濡れた頬に唇をそっと付け涙を吸い取った。 流石のアランも この小さな馬車の中でそこまで当てられると(?)目のやり場が無い。  
「全く呆れた似た者同士だぜ, あんた方は! 話にならねえ!」 
「アンドレ…頼む。私も大人しくするから,おまえもちゃんと目の治療を受けてくれ。1日でも1秒でも良い,おまえに私を見ていてほしいのだ。」 
「解った。おまえの言う通りにするよ。」  
「そして…その目に闇が訪れたら私にだけは隠さずにいてくれ!」  
「約束するよ。神に賭けて誓う。 愛しているよ、オスカル。」  
「私もだ…私のアンドレ。もうおまえに隠し事はしないぞ。」 


「ああ〜もうやってらんねえ!」 
アランは呆れていた。

……夫婦喧嘩は犬も食わないとは良く言ったもんだ…… 

Change of Command/ Last Roll Call

Change of Command/ Last Roll Call   Mid August 1789

軍服を着るオスカルの身支度を手伝いながらアンドレが言った。
「久しぶりだなおまえの軍服姿。」  
「多分これが見納めだぞ。しっかり見ておけ。」   
「おまえの姿なら何時だってしっかり見ているさ。」  
バステイーユ襲撃後,労咳の治療の為病院で一月も寝たきりだったオスカルは久しぶりの外出に機嫌を良くしていた。 
「具合はどうだ?」 
「ああ,良好だ。この頃食欲も有る。」  
「そうだな,今日は顔色も良いぞ。 でも無理はするなよ。」 
「私の心配よりもおまえはどうだ? 傷は痛むか?」 
「腕の方はもう大丈夫だ。背中の方は未だ少し痛むがおまえの従僕兼護衛として十分復帰できる。」  
「おまえはもう私の従僕兼護衛ではない。 私の夫だ!」   
「…そっちの方も復帰できるぞ!ああ,なんなら今此処で証明しようか?」 
「そ…そういう意味で言ったのではない!」 
オスカルの顔がみるみる赤くなった。 
用意はできたか? いくぞ!」  
照れ隠しにオスカルがわざと邪険に言った。 
「ああ。」  
アンドレは全く気に留める事無く油布でサーベルをもう一度拭いてからオスカルに手渡した。

*******

「隊長!」 
アランが走ってくる。 オテル・ド・ヴィルの広場では衞兵隊が整列していた。 
「用意は良いか?」 
「はい、いつでも。」 

アランとオスカルが衛兵達の正面に立った。 オスカルが高ぶる感情を抑えながら語った。 
「兵士諸君! 今までどうも有り難う。 君達の誠意と忠誠を私は一生忘れない。私はこの体を治して一刻も早く隊長として復活できる事を望んでいる。その日が来るまでアラン・ド・ソワソンを衛兵隊隊長に任命する。 皆もアランの実力はバステイーユで知っての通りだ。 アランなら必ず私の意思を次いで祖国の為に働いてくれると確信している。君達もアランを信じて彼の力になってやってくれたまえ。」 
オスカルはアランに彼女のサーベルを手渡し、
「アラン、頼むぞ。」
と小声で言った。アランがサーベルを天に向けて掲げると衞兵隊が一斉に拍手をして叫んだ。 
「新隊長ばんざい!」

新隊長はオスカルに一礼すると大声で号令をかけた。 
「衞兵隊、気をつけ!」
それを合図にユラン伍長がゆっくりと馬を引いて来る。 馬の鞍には誰も乗っていない。その鐙には後ろ向きに置かれた衛兵隊のブーツがある。無人の馬と逆向きのブーツはもう馬に乗る事の無い 同士達の象徴だ。 
「敬礼!」 
馬が整列の前を通った時衞兵隊が背負っていたマスケット銃を持ち替えて体の正面に掲げた。沢山の民衆が知らないうちに集まって来て静かにこの厳粛な儀式を見つめている。馬が通り過ぎるのを見とどけてアランが合図をすると衞兵隊がもう一度気をつけの姿勢に戻り銃を肩にもどした。 

「最後の点呼始め!」
アランが衞兵隊員の名前を一人一人呼ぶ。 呼ばれた者は 
「はい、隊長!」
と返事をする。 出席者全員の名が呼ばれた後に今はもういない同士達の名前がよばれた。
「アルマン!」
皆の顔が曇った。 
「フランソワ・アルマン!」 
衞兵隊の中からすすり泣く声が聞こえて来た。 
「フランス衛兵フランソワ・アルマン!」
3度目にフランソワが呼ばれた時、ユラン伍長が 
「隊長、フランス衛兵フランソワ・アルマンは今、主のもとに仕えております!」  
「了解!」 

「シニエ!」 
「ジャン・シニエ!」
「フランス衛兵ジャン・シニエ!」 
「隊長、フランス衛兵ジャン・シニエは今、主のもとに仕えております!」  
「了解!」
 
………こうしてテュイルリー宮広場で最後を迎えた四人とバステイーユの犠牲者21名の点呼が終わるまでには衞兵隊も民衆も皆涙無しでいられなかった。
点呼が終わると静かだが力強い英語でアランが語った。
 
“From this day to the ending of the world….we in it shall be remembered….we band
of brothers; For he today that sheds his blood with me shall be my brother” *  
(今日の日から、そしてこの世の終わりまで 覚えていよう。我らは兄弟だ。共にこの血を流したのだから…)

アランの号令に7人の兵士が並んで銃を構え1人ずつ、3回銃を空に向けて撃った。体を突き抜ける様な銃声が沈黙の広場で鳴り響いた。

アランの次の号令で皆くるりと踵を返すと 後ろに立ち並ぶ25丁のマスケット銃が目に入った。 間をあけて銃口を下にして地面に差し込まれた銃にはその台尻に衞兵隊の帽子が駆けてある。そして25人の子供達が赤白青の3色リボンを折って作られたコカルデ〜英雄のしるし〜を黒い毛皮の帽子に留めた。

アンドレは涙をぽろぽろ流しているその中の一人の男の子に気がついた。目の前のバトルクロスを見つめながらコカルデをただ握りしめているその少年に見覚えが有った。
「そうだ。面会日に兵舎に来ていた。フランソワの弟だ!」 
痩せてそばかす顔の少年はフランソワの面影がある。この少年に初めての靴を履かせる為にフランソワは剣を売ったと言う。アンドレはその少年の側に膝を付きその子の肩にそっと手を置いた。 
「君の兄貴はとっても勇敢だったよ。とても優しい良い奴だった。」 
「うん。」 
こらえきれなくなった少年はアンドレにすがりついて泣いた。  
「元気を出して頑張るんだぞ。君の兄貴は何時だって君を天国で見守っているんだ。」 
彼の胸で泣きじゃくる少年の背中を優しくさすりながらアンドレは言った。

民衆と衛兵の歌う賛美歌がいつまでも夏の空にこだましていた。
“Kyrie Eleison、Christe Eleison、Kyrie Eleison……”
主よ 憐れみたまえ、キリスト 憐れみたまえ、主よ 憐れみたまえ……








あとがき:フランソワとジャン、原作では一コマで撃たれてその後生息不明……どうしたんだろ〜なんてよく思ってました。大辞典によるとバステイーユで死亡だそうですが、あれはどう見てもテュイルリー宮広場じゃないかな? 私の大好きなキャラなので彼らの為にこのSSを書きました!

*アランの英語の詩はシェイクスピアのヘンリー5世からです。
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Missy

Author:Missy
はじめまして!Missy です。日本語はまだまだ未熟ですが,ここはそんな私の妄想で暴走している AO主義のベルばら二次創作サイトです。
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